鵜来型は成功した海防艦であるが、ディーゼル主機の生産が追い付かなくなってしまった。
 幸い、護るべき第二次戦標船は低速である為、性能低下を忍び、供給能力に余裕のあった低出力ディーゼルを採用したより小型の海防艦として計画されたのが本型である。

 陥落化と戦訓の取り入れも鵜来型同様、リノリウムの廃止や居住区の簡略化を行ない、さらに第二士官室を廃止、士官寝室も4人部屋とするなど徹底して実施され、一部では「半年使えればよい」等という言葉も聞かれたらしい。

 本型は昭和18年7月に基本計画が策定され、9月に1番艦が着工、翌年2月には完成、その後は中小の造船所に技術を転移し大量生産に成功した、我が戦時急造艦で最も成功した艦となった。

 「可能な限り多数」という悲鳴のような建造要求に対し、132隻が計画され53隻が竣工したが、熾烈な海上護衛戦の末、約半数にあたる26隻が失われた。


第一号型の戦い:最後の事故 〜第59号海防艦〜

 第59号海防艦は昭和20年2月2日に竣工。
 昭和20年12月1日より復員業務についたが、昭和21年7月30日、呉港内で(旧)戦艦<日向>と衝突、沈没してしまった。
 明治26年に千葉沖で第2号と第5号、第15号と第20号水雷艇が衝突事故を起して以来、「魔の一週間」の<吉野>と<春日>(明治37年)、「美保ヶ関事件」の<蕨>と<神通>、<葦>と<那珂>(昭和2年)、ミッドウェイ海戦の<三隈>と<最上>(昭和17年)など海軍の歴史の感でもある海軍艦艇同士の「最後」の衝突事故となった。
(ただし、昭和32年には<おぎしま>と曳船が衝突、海自の衝突の歴史が始まっている)


丙型(第一号型)要目(新造時)

 名  称   第一号型
 ネームシップ  第一号海防艦
 建造時期  昭和19年2月29日〜昭和20年6月15日
 建 造 数 53隻(計画132隻)
 基準排水量  745トン
 全  長   67.50m
 水 線 幅   8.40m
 吃  水   2.90m
 主  機   艦本式23号乙8型ディーゼル2基
 推 進 軸 2軸
 主  缶   −−
 出  力   1900馬力
  計画速力  16.5ノット
 航 続 力 14ノットで6500浬
 燃料搭載量  重油106トン
 乗  員   125名
 兵  装   12.7センチ45口径単装高角砲 2基
 25ミリ連装機銃 2基
 爆雷120個(投射機12基、投下条1基 

同型艦:
 第1号〜第87号(89号欠)および第205号〜第227号(209、211、223号欠)の奇数番号