初代の南極観測船(映画「南極物語」の時代の頃)として有名な船であるが、正式に海軍に所属して太平洋戦争に参加した歴戦艦でもある。
 北満州鉄道の代価としてソ連向けに川南重工香焼島造船所で建造された商船。

 進水直後に契約が破棄され、辰南汽船所属の<地領丸>として竣工した。
 平凡な三島型マイヤー船首の商船構造艦であるが、「ソ連向け」に建造された為に砕氷能力(12センチで正しくは耐氷能力)を持っていた事が40年に及ぶ長い波乱の艦歴を歩む事となった。
 
昭和13年、日ソ関係の悪化に伴い、北洋での行動力拡大を図る海軍に買収され、運送艦<宗谷>となった。

 戦前は砕氷艦<大泊>とコンビを組み、北洋での警備・測量任務に従事、開戦後は南方に進出し、ラバウル等を拠点に測量・輸送任務に従事した。
 終戦後、缶が商船としては不向きな艦本式水管缶であった為、解体が予定されていたが、海上保安庁の灯台補給船が不足した為に転用された。

 昭和30年には、巡視船に転籍、機関の換装などの大改装を受け、南極観測船となり、昭和31年から36年までの6次の南極観測に従事した。

 昭和53年に解役され、現在は東京の船の科学館に保存され、内部の見学も可能となっている。
 最後に残された艦艇である海防艦<志賀>が解体された今、最後に残る太平洋戦争に参加した海軍の艦であるといえる。
 (幸い、こちらは当分は大丈夫な様子)

宗谷要目(購入整備時)

 名  称   宗谷(商船時代は地領丸)
 ネームシップ  
 建造時期  昭和13年6月10日(購入:昭和15年2月20日)
 建 造 数 1隻(同型船として他に2隻あり)
 基準排水量  3800トン
 垂線間長   77.53m
 水 線 幅   12.80m
 吃  水   5.77m
 主  機   直立式3段レシプロ蒸気機械1基
 推 進 軸 1軸
 主  缶   艦本式水管官(石炭専燃) 1基
 出  力   1450馬力
  計画速力  12.1ノット
 航 続 力 8.5ノットで5000浬
 燃料搭載量  
 乗  員   
 兵  装   8センチ40口径単装高角砲 1基