明治29年、帝政ロシアとの戦争回避は不可能とみた日本帝国が実施した未曾有の軍拡の一環として、英国から、当時の「最新兵器」だった「駆逐艦」を購入したが、そのうちのヤーロー社製のものを雷型と称した。
排水量345トン、速力31ノットは当時の駆逐艦として最高水準の最新型であった。
<雷>の発注時に「製造番号1」が与えられた為、日本最初の駆逐艦という事になっている。
当時、欧州で建造された水雷艇は分解輸送して日本で組み立てる方式をとっており、雷型の時にも、分解輸送案があったが、結局は自力回航を行う事となり、帆走用のマストを仮設するなどの対策の末に3ヶ月で日本に到着し、日本海軍が永年に渡って渡洋型駆逐艦を愛する事になる最初の要因を作った。
北支事変、日露戦争などに参加、1隻も戦没艦は出ていないが、事故で半数の3隻を失っており、幸運艦だったのか、不運だったのか、よく判らない所がある。
雷型の戦い:遅参の功 〜漣〜
明治38年5月、日本海海戦において、本隊からはぐれ東雲級の<陽炎>と行動を共にしていた<漣>は日本海を北上中のロシア駆逐艦を発見、これを捕獲した。
この駆逐艦こそ、ロシア帝国第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)司令長官・ロジェストウェンスキー提督を収容して待避中のロシア駆逐艦<ベドウィ>であった。
雷型要目(新造時)
名 称 | 雷型 |
ネームシップ | 雷 |
建造時期 | 明治32年2月23日〜明治33年1月1日 |
建 造 数 | 6隻 |
常備排水量 | 345トン |
全 長 | 67.2m(水線間長) |
水 線 幅 | 6.3m |
吃 水 | 1.5m |
主 機 | 直立4気筒三連レシプロ蒸気機関2基 |
推 進 軸 | 2軸 |
主 缶 | ヤーロー式水管缶(石炭専燃) 4基 |
出 力 | 6000馬力 |
計画速力 | 31ノット |
航 続 力 | 記録なし |
燃料搭載量 | 石炭110トン |
乗 員 | 60名 |
兵 装 | 8センチ単装砲 1基 |
| 57ミリ単装砲 5基 |
| 45センチ単装魚雷発射管 2基 |
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雷型の航跡
雷 Ikazuchi
明治32年2月23日、英ヤーロー社にて竣工、水雷艇に類別
明治33年6月22日、軍艦(駆逐艦)に類別変更
明治38年12月12日、駆逐艦に類別変更
大正元年8月28日、三等駆逐艦に等級変更
大正2年10月10日、汽缶破裂事故のため沈没
大正2年11月5日、除籍
電 Inazuma
明治32年4月25日、英ヤーロー社にて竣工、水雷艇に類別
明治33年6月22日、軍艦(駆逐艦)に類別変更
明治38年12月12日、駆逐艦に類別変更
明治42年12月16日、衝突事故のため沈没
明治43年9月15日、除籍
曙 Akebono
明治32年2月23日、英ヤーロー社にて竣工、水雷艇に類別
明治33年6月22日、軍艦(駆逐艦)に類別変更
明治38年12月12日、駆逐艦に類別変更
大正元年8月28日、三等駆逐艦に等級変更
大正10年4月30日、特務艇に転籍
大正10年6月21日、雑務船に編入
大正14年5月2日、廃船
漣 Sazanami
明治32年2月23日、英ヤーロー社にて竣工、水雷艇に類別
明治33年6月22日、軍艦(駆逐艦)に類別変更
明治38年12月12日、駆逐艦に類別変更
大正元年8月28日、三等駆逐艦に等級変更
大正2年4月1日、除籍
朧 Oboro
明治32年2月23日、英ヤーロー社にて竣工、水雷艇に類別
明治33年6月22日、軍艦(駆逐艦)に類別変更
明治38年12月12日、駆逐艦に類別変更
大正元年8月28日、三等駆逐艦に等級変更
大正10年4月30日、特務艇に転籍
(廃船時期不明。大正14年頃?)
霓 Niji
明治32年2月23日、英ヤーロー社にて竣工、水雷艇に類別
明治33年6月22日、軍艦(駆逐艦)に類別変更
明治33年7月29日、山東高角にて座礁沈没
明治34年4月8日、除籍