第一次世界大戦の勃発により建造された戦時急造駆逐艦。

 当時、日本海軍が保有する大中型駆逐艦は4隻のみで、至急に数を揃える必要があった為、設計は従来の櫻型のものを流用、機関も急造に適したレシプロ機関とし、ただ缶のみは新型の艦本ロ号缶を採用、缶数を減じ空いたスペースを重油庫とする事で航続距離の伸長を図り、また第一缶を重油専燃とし、第一煙突を小型化する事で、当時、問題となりつつあった艦橋への排煙の流入を減らす事ができた。

 戦時の為、最優先で建造され、特に横須賀工廠で建造された樺は船渠内で艤装まで終了させ、ほとんど工事完成の状態で出渠させた。これに要した期間が67日。
 さらに、38日後には引渡をすませ、工事期間は併せて105日となり、駆逐艦の建造記録としては当時の世界レコードを達成した。

 戦時急造の為、能力的には目を見るものはないが、その建造期間や活躍は日本駆逐艦史に残る偉大な艦であったといえよう。



樺型の戦い:日本海軍欧州遠征 〜樺・桐を除く樺型〜

 大正5年秋より<樺><桐>を除く樺型8隻は第六、第七駆逐隊を編成してシンガポール方面へ進出、さらにドイツ軍の通商破壊作戦で地中海が危機に瀕すると同盟国イギリスの要請を受け、巡洋艦<明石>を旗艦とする第二特務艦隊を編成、大正6年4月25日より、地中海で通商護衛の任務についた。
 その後、装甲巡洋艦2隻と新型の桃型4隻の増援を受けた第二特務艦隊は1年に渡る作戦で、のべ780隻の艦艇を護衛し、Uボートと36回の交戦を行っている。
 この遠征で、日本艦隊に喪失艦艇は無かったが、大正6年6月に<榊>がUボートに艦首を吹き飛ばされるなどの損害を出し、戦死者78名を出した。


樺型の戦い:日本製フランス駆逐艦 〜トライバル級〜

 第1次世界大戦の駆逐艦の不足をきたしたフランス海軍は欧州を遠く離れた同盟国であり、護衛駆逐艦建造のレコードホルダーである日本海軍に12隻の駆逐艦を発注した。
 これを受けた日本海軍は実績のある樺型12隻を建造、欧州まで回航し、ポートサイドでフランス海軍に引き渡した。
 これら「日本製」駆逐艦は艦名から民族級などとも称され、昭和11年ごろまで現役で活躍した。


櫻型要目(新造時)

 名  称   樺型
 ネームシップ  樺
 建造時期  大正4年3月5日〜大正4年4月22日
 建 造 数 10隻(フランス海軍売却分を含めて22隻) 
 基準排水量  595トン
 全  長   82.9m
 水 線 幅   7.4m
 吃  水   2.2m
 主  機   直立式三連成レシプロ蒸気機械3基
 推 進 軸 3軸
 主  缶   ロ号艦本式水管缶4基(重油専燃2基・石炭混燃2基) 
 出  力   9500馬力
  計画速力  30ノット
 航 続 力 15ノットで1600浬
 燃料搭載量  重油137トン、石炭100トン
 乗  員   94名
 兵  装   12センチ40口径単装砲 1基
  8センチ40口径単装砲 4基
  45センチ連装魚雷発射管 2基



櫻型の航跡

樺 Kaba
大正4年3月5日、横須賀工廠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和7年4月1日、除籍

榊 Sakaki
大正4年3月26日、佐世保工廠にて竣工、二等駆逐艦に類別
大正6年6月11日、潜水艦の雷撃を受け大破
昭和7年4月1日、除籍

楓 Kaede
大正4年3月25日、舞鶴工廠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和7年4月1日、除籍

桂 Katsura
大正4年3月31日、呉工廠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和7年4月1日、除籍

梅 Ume
大正4年3月31日、川崎造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和7年4月1日、除籍

楠 Kusunoki
大正4年3月31日、川崎造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和7年4月1日、除籍
月1日、除籍

柏 Kashiwa
大正4年4月4日、三菱長崎造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和7年4月1日、除籍

松 Matsu
大正4年4月6日、三菱長崎造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和7年4月1日、除籍

杉 Sugi
大正4年4月7日、大阪鉄工所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和7年4月1日、除籍

桐 Kiri
大正4年4月22日、浦賀船渠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和7年4月1日、除籍