大正七年、八六艦隊〜八八艦隊の完成計画による改峯風型駆逐艦。

 峯風型や樅型にトップヘビィの傾向が見られた為、若干の速度低下を忍んで船体に若干の改定を加えたタイプ。
 峯風型の後期艦同様、砲雷戦の統一指揮と砲撃時の爆風の影響をさける為に3・4番砲と2・3番魚雷発射管の位置も変更されている。
 速度は低下したが、本型の後期艦からは、故障の多かった外国式の主機に替え、艦本式の主機を採用、峯風型や樅型で多発したタービンブレードの損傷事故も減り、実用上は峯風型に劣る部分は無いといってもよかった。

 八六艦隊で3隻、八八艦隊計画で2隻、軍縮条約による改定計画で4隻が建造され、さらに18隻の建造が計画されたが、ワシントン条約により破棄された。

 古参艦ながら、全艦が太平洋戦争に参加している。



神風型の戦い:艦隊殴り込み 〜夕凪〜

 昭和17年8月7日、米軍はガタルカナルおよびツラギを強襲、これを占領した。
 これをうけた第八艦隊(司令長官三川中将)は直ちに反撃を実施した。
 「神懸かり」神参謀による作戦だけあって、「とりあえずガタルカナルまで行き砲撃してくる」という、大胆な作戦で、第八艦隊<鳥海>と、第六戦隊<青葉><古鷹><加古><衣笠>は一度も合同訓練を行った事はなく、その上、「残留」とされた第18戦隊司令官が艦隊司令部の前で座り込みを行い、無理矢理、旧式の軽巡<夕張><天竜>と駆逐艦<夕凪>で付いてきてしまうなど「殴り込み」といった方が速い大胆な計画だった。
 しかし、「拙速、巧遅に勝る」の言葉どおり、「来るはずのない日本軍」の前にレーダーの優位も活かせないまま、連合軍艦隊は大混乱となり、重巡4隻沈没、1隻撃破、駆逐艦2隻撃破の大戦果に対し、損害は重巡<鳥海>が中破したに留まる大勝利を納めた。
 この戦いは第一次ソロモン海戦と呼ばれている。
 

神風型の戦い:舞鶴港 〜春風、松風、旗風〜

 舞鶴港は日本海に面する良港で、横須賀、呉、佐世保と並び鎮守府が置かれる「軍港」であったが、大正末から昭和10年頃にかけて、日本海が日本の浴槽であった時代はその戦略的価値が低下し、海軍予算の削減もあり、鎮守府から要港部に格下げされていた時期があり、この時期に舞鶴で建造された<春風>から有明型の<夕暮>まで艦も当然、舞鶴工廠ではなく舞鶴工作部の建造という事になる。
 戦後、再び日本海が国防上の正面となり、横須賀、呉、佐世保、大湊と同様、舞鶴警備区が設けられ、地方総監部が置かれたが、ロシアや北朝鮮に近すぎる事等から、あまり大きな戦力は配備されていない。もっとも、舞鶴の護衛艦&護衛艦乗りは日本海軍の流れを汲むのか、勇猛で「ミンスク追撃戦」などの武勇伝を持っているので、恐くて大きな戦力を配備できないのかもしれない(これは冗談)


神風型の戦い:最初の喪失艦艇 〜疾風〜

 <疾風>は開戦3日目の昭和16年12月11日にウェーク島攻略戦で沿岸砲台の砲撃が命中、沈没し太平洋戦争における最初の日本戦闘艦艇の喪失となった。
 さらに10日後、同じくウェーク島攻略戦で睦月型の<如月>が戦闘機の機銃掃射で爆雷が誘爆、沈没してしまう。
 沿岸砲にしろ、戦闘機の機銃掃射にしろ、航行中の艦艇相手では、あまり効果が期待できない「気休め」にすぎないのだが、ウェーク島では、旧式とはいえ、駆逐艦2隻を失う不運に見舞われた。
 なお、ウェーク島はその後、第二航空戦隊の増援により呆気なく陥落する。



神風型要目(新造時)

 名  称   神風(第一駆逐艦/第一号駆逐艦型)
 ネームシップ  神風(第一駆逐艦/第一号駆逐艦)
 建造時期  大正11年12月28日〜大正14年12月21日
 建 造 数 9隻
 基準排水量  1270トン
 全  長   102.6m
 水 線 幅   9.2m
 吃  水   2.9m
 主  機   三菱パーソンズ式オール・ギヤードタービン2基 ※ 
 推 進 軸 2軸
 主  缶   ロ号艦本式水管缶4基(重油専燃) 
 出  力   38500馬力
  計画速力  37.3ノット
 航 続 力 14ノットで3600浬
 燃料搭載量  重油422トン
 乗  員   154名
 兵  装   12センチ45口径単装砲 4基
  6.5ミリ単装機銃 2基
  53センチ連装魚雷発射管 3基
  一号機雷 16個

※<追風><疾風><朝凪><夕凪>は艦本式を採用



神風型の航跡

神風(2)(駆一) Kamikaze
大正11年12月28日、三菱長崎造船所にて第一駆逐艦として竣工、一等駆逐艦に類別
大正13年4月24日、第一号駆逐艦に改称
昭和3年8月1日、神風と改称
昭和20年10月5日、除籍、特別輸送艦として復員業務に従事
昭和21年6月7日、静岡県御前崎で座礁、放棄。戦後解体
太平洋戦争では北海道・シンガポール方面で船団護衛に従事

朝風(2)(駆三) Asakaze
大正12年6月16日、三菱長崎造船所にて第三駆逐艦として竣工、一等駆逐艦に類別
大正13年4月24日、第三号駆逐艦に改称
昭和3年8月1日、朝風と改称
昭和19年8月24日、リンガエン湾沖で米潜<ハッドゥー>の雷撃をうけ沈没
昭和19年10月10日、除籍
太平洋戦争ではフィリピン攻略戦、バタビア沖海戦等に参加

春風(2)(駆五) Harukaze
大正12年5月31日、舞鶴工作部にて第五駆逐艦として竣工、一等駆逐艦に類別
大正13年4月24日、第五号駆逐艦に改称
昭和3年8月1日、春風と改称
昭和20年11月20日、除籍、戦後解体。船体は京都府竹野港防波堤に利用。
太平洋戦争ではフィリピン攻略戦、バタビア沖海戦等に参加

松風(2)(駆七) Matsukaze
大正13年4月5日、舞鶴工作部にて第七駆逐艦として竣工、一等駆逐艦に類別
大正13年4月24日、第七号駆逐艦に改称
昭和3年8月1日、松風と改称
昭和19年6月9日、父島沖で米潜<ソードフィッシュ>の雷撃をうけ沈没
昭和19年8月10日、除籍
太平洋戦争ではフィリピン攻略戦、バタビア沖海戦等に参加

旗風(2)(駆九) Hatakaze
大正13年8月30日、舞鶴工作部にて第九号駆逐艦として竣工、一等駆逐艦に類別
昭和3年8月1日、旗風と改称
昭和20年1月5日、高雄で米艦載機の攻撃をうけ沈没
昭和20年3月10日、除籍
太平洋戦争ではフィリピン攻略戦、バタビア沖海戦等に参加

追風(2)(駆一一) Oikaze
大正14年10月30日、浦賀船渠にて第一一号駆逐艦として竣工、一等駆逐艦に類別
昭和3年8月1日、追風と改称
昭和19年2月18日、トラック島で米艦載機の攻撃をうけ沈没
昭和19年3月31日、除籍
太平洋戦争ではウェーク島、ラバウル攻略戦、ソロモン方戦等に参加

疾風(2)(駆一三) Hayate
大正14年12月21日、藤永田造船所にて第一三号駆逐艦として竣工、一等駆逐艦に類別
昭和3年8月1日、疾風と改称
昭和16年12月11日、ウェーク島攻略戦で沿岸砲台の攻撃をうけ沈没
昭和17年1月10日、除籍
太平洋戦争ではウェーク島攻略戦に参加

朝凪(2)(駆一五) Asanagi
大正13年12月29日、浦賀船渠にて第一五号駆逐艦として竣工、一等駆逐艦に類別
昭和3年8月1日、朝凪と改称
昭和19年5月22日、父島沖で米潜<ポーラック>の雷撃をうけ沈没
昭和19年7月10日、除籍
太平洋戦争ではウェーク島攻略戦等に参加

夕凪(2)(駆一七) Yunagi
大正14年4月24日、佐世保工廠にて第一七号駆逐艦として竣工、一等駆逐艦に類別
昭和3年8月1日、夕凪と改称
昭和19年8月25日、ルソン島沖に米潜<ピクユダ>の雷撃をうけ沈没
昭和19年10月10日、除籍
太平洋戦争ではウェーク島攻略戦、第一次ソロモン海戦等に参加