大正4年の八八艦隊計画の第一段階構想による中型駆逐艦。

 従来の二等駆逐艦の樺型の後継というよりは、磯風型の縮小版というべき艦で、二等駆逐艦として初めてタービン機関を採用、<桃><樫>には国産の艦本式衝動直結タービンが、<檜><柳>にはブラウン・カーチス式タービンが搭載され、樺型の1.6倍の出力を得る事に成功している。

 磯風型に比べ、砲熕装備では12センチ砲が1門少ないものの、8センチ砲2基を装備、同等とはいかないまでも匹敵するものがあり、雷装では連装3基の磯風型に対し3連装2基で完全に同等という、極端な重武装艦となった。

 また、中型駆逐艦の宿命的欠陥である凌波性能の欠如についても、艦首楼甲板を高くし、艦橋を後方に下げるなど、波浪の影響をできるだけ少なくするように入念な考慮がなさたが、それでも抜本解決には至らず、地中海で荒天により損傷する事故を起している。




桃型の戦い:英国王より感状 〜桃、樫〜

 大正6年4月25日より地中海へ遠征しでUボートと死闘を繰り広げていた第二特務艦隊への増援として、装甲巡洋艦<出雲><日進>と共に桃型全艦も地中海でASWに従事した。
 なかでも、<桃>と<樫>は雷撃を受け、大破したイギリス商船<バンクラス>の乗員を危険を省みずに救出、さらにマルタまで決死の曳航を試み、見事にこれを成功させ、時のイギリス国王より感状を賜り、「東方の弟子たち」日本海軍の名声を高めた。


桃型の戦い:多国籍艦隊 〜樫〜

 欧州遠征の武勲艦<樫>も昭和12年には老朽化し、満州国海辺警察隊に譲渡され<海威>と改称し、満州国の沿岸警備にあたった。
 その後、太平洋戦争では、満州国籍のまま日本海軍の指揮下で対潜哨戒の任務に付き、昭和19年10月10日、沖縄沖で米艦載機の攻撃を受けて沈没した。



桃型要目(新造時)

 名  称   桃型
 ネームシップ  桃
 建造時期  大正5年12月23日〜大正6年5月5日
 建 造 数 4隻 
 基準排水量  755トン
 全  長   88.4m
 水 線 幅   7.7m
 吃  水   2.4m
 主  機   艦本式(<檜><柳>はブラウン・カーチス式)直結タービン2基 
 推 進 軸 2軸
 主  缶   ロ号艦本式水管缶4基(重油専燃2基・石炭混燃2基) 
 出  力   16700馬力
  計画速力  31.5ノット
 航 続 力 15ノットで2400浬
 燃料搭載量  重油212トン、石炭92トン
 乗  員   109名
 兵  装   12センチ40口径単装砲 3基
  8センチ40口径単装砲 2基
  45センチ3連装魚雷発射管 2基



桃型の航跡

桃 Momo
大正5年12月23日、佐世保工廠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年4月1日、除籍

樫 Kashi
大正6年3月31日、舞鶴工廠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和12年5月1日、除籍、満州国海辺警察隊に引渡、<海威>と改称
昭和19年10月10日、沖縄沖で米艦載機の攻撃を受け戦没

檜 Hinoki
大正6年3月31日、舞鶴工廠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年4月1日、除籍

柳 Yanagi
大正6年5月5日、佐世保工廠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年4月1日、除籍、終戦まで佐世保に係留。戦後、船体は若松港防波堤に利用