明治29年、帝政ロシアとの戦争回避は不可能とみた日本帝国が実施した未曾有の軍拡の一環として、英国から、当時の「最新兵器」だった「駆逐艦」を購入したが、そのうちのソーニクロフト社製のものを東雲型と称した。

 武装的にはヤロー製の雷型とほぼ同等であるが、東雲型の方が僅かにサイズが小さく、機関出力、速度、燃料搭載量のいずれも僅かに劣っている。

 雷型と同じく、半釣合舵で舵頭が水面に露出する事や、缶が船体に収まりきってない等、損害時にもろい点があった。



東雲型の戦い:本当の日本駆逐艦第一号 〜叢雲〜

 日本の駆逐艦を列挙すると、普通は東雲級ではなく、雷級が最初にくる。
 同じ予算(明治29年度予算)で成立しており、どちらが先という事でもないのだが、製造番号を雷型の方から振っていった為であると思われる。
 竣工順位でいえば、一番早かったのは東雲型に属する<叢雲>(明治31年12月29日)、<東雲>(明治32年2月1日)であり、次いで雷型の<雷>が明治32年2月23日に竣工している。
 なお、東雲型が叢雲型でないのは、これも製造番号の順位による。



東雲型の戦い:敵将を捕獲 〜陽炎〜

 明治38年5月、日本海海戦において、本隊からはぐれ雷級の<漣>と行動を共にしていた<陽炎>は日本海を北上中のロシア駆逐艦を発見、これを捕獲した。
 この駆逐艦こそ、ロシア帝国第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)司令長官・ロジェストウェンスキー提督を収容して待避中のロシア駆逐艦<ベドウィ>であった。
 


東雲型要目(新造時)

 名  称   東雲型
 ネームシップ  東雲
 建造時期  明治31年12月29日〜明治33年2月1日
 建 造 数 6隻
 常備排水量  322トン
 全  長   63.6m(水線間長)
 水 線 幅   6.0m
 吃  水   1.7m
 主  機   斜動式4気筒三連レシプロ蒸気機関2基
 推 進 軸 2軸
 主  缶   ソーニクロフト式水管缶(石炭専燃) 3基
 出  力   5475馬力
  計画速力  30ノット
 航 続 力 記録なし
 燃料搭載量  石炭80トン
 乗  員   58名
 兵  装   8センチ単装砲 1基
  57ミリ単装砲 5基
  45センチ単装魚雷発射管 2基



東雲型の航跡

東雲 Shinonome
明治32年2月1日、英ソーニクロフト社にて竣工、水雷艇に類別
明治33年6月22日、軍艦(駆逐艦)に類別変更
明治38年12月12日、駆逐艦に類別変更
大正元年8月28日、三等駆逐艦に等級変更
大正2年7月20日、座礁沈没
大正2年8月6日、除籍

叢雲 Murakumo
明治32年2月1日、英ソーニクロフト社にて竣工、水雷艇に類別
明治33年6月22日、軍艦(駆逐艦)に類別変更
明治38年12月12日、駆逐艦に類別変更
大正元年8月28日、三等駆逐艦に等級変更
大正8年4月1日、雑務船に編入
大正9年7月1日、特務艇に転籍
大正11年4月1日、雑務船に再編入
大正12年8月1日、廃船
大正14年6月24日、実艦的として海没

夕霧 Yugiri
明治32年2月1日、英ソーニクロフト社にて竣工、水雷艇に類別
明治33年6月22日、軍艦(駆逐艦)に類別変更
明治38年12月12日、駆逐艦に類別変更
大正元年8月28日、三等駆逐艦に等級変更
大正8年4月1日、雑務船に編入
大正9年7月1日、特務艇に転籍
大正11年4月1日、除籍
大正13年3月14日、廃船

不知火 Shiranui
明治32年2月1日、英ソーニクロフト社にて竣工、水雷艇に類別
明治33年6月22日、軍艦(駆逐艦)に類別変更
明治38年12月12日、駆逐艦に類別変更
大正元年8月28日、三等駆逐艦に等級変更
大正11年4月1日、特務艇に転籍
大正12年8月1日、雑役船に編入、公称2526号と改称
大正14年2月25日、廃船

陽炎 Kagero
明治32年2月1日、英ソーニクロフト社にて竣工、水雷艇に類別
明治33年6月22日、軍艦(駆逐艦)に類別変更
明治38年12月12日、駆逐艦に類別変更
大正元年8月28日、三等駆逐艦に等級変更
大正11年4月1日、特務艇に転籍
大正14年2月25日、廃船

薄雲 Usugumo
明治33年2月1日、英ソーニクロフト社にて竣工、水雷艇に類別
明治33年6月22日、軍艦(駆逐艦)に類別変更
明治38年12月12日、駆逐艦に類別変更
大正元年8月28日、三等駆逐艦に等級変更
大正11年4月1日、特務艇に転籍
大正12年8月1日、雑役船に編入、公称2525号と改称
大正14年2月25日、廃船
大正14年4月29日、実艦的として海没