満州国海上警察隊

 その建国の経過と傀儡統治システムから「キメラ」と呼ばれる事もある満州国だが、その中でもひときわ異彩を放つ鬼子が海上警察隊だった。
 海上警察隊は大同元年(昭和7年)、東北辺防軍(張学良軍)艦隊の逃亡で沿岸の警備が手薄となった事から密輸や海賊が跳梁するようになった為、政府が海軍予備役大佐・宮部利一に命じて編成した「沿岸監視警察隊」を起源とする部隊で日本海軍の支援を受けて営口や旅順を拠点に黄海・渤海湾方面の海上および沿岸の警備と治安維持を担当していた。
 民政部管下の警察組織であるが、その成立や任務から軍隊色が強く、外洋での行動能力を持たない満州海軍(江上軍)に代わる実質上の海軍として、太平洋戦争中盤以降は沿岸のみならず南方や東シナ海での海上護衛作戦も行っていた。
 康徳10年(昭和18年)の時点で満州国の警察全体では総人員7万名に対し日本人は3000名程度だったが海上警察隊では総人員700余名に対し日本人が過半350名(うち海軍出身者300名)と日本人、とくに海軍出身者が多いのが特徴で、特に主要艇や航空部隊など主力はほとんど日本人だけで運用されていた。

 海上警察隊における日本製の艦船はおおむね次の通り。この他に建造国不明や国産艇として800トン級の商船改造の警備船兼補給船<海王>(HaiWang)や張学良時代から漁業保護などの任に就いていた150トン級の漁業監視船<靖海>(JingHai)や<快馬>(KuaiMa)などがあった。


海威 -HaiI-

 元日本海軍の二等駆逐艦<樫>。二等駆逐艦としてはじめてタービンを採用した桃型の駆逐艦で第一次世界大戦では地中海にも遠征した武勲艦。
 水上機の運用試験などに使用された後に海上警察隊に引き渡され、海上警察はもちろん、満州国海軍(江上軍)を含めても最大の戦闘艦となった。
 康徳9年(昭和17年)6月29日に日本海軍に貸与され、満州籍のまま東シナ海を中心に護衛・哨戒に活躍したが康徳11年(昭和19年)10月10日、第一次沖縄本島空襲に遭い沈没した。

 排水量755トン(新造時)/全長88.4m/機関 タービン馬力不明(新造時は16700馬力だが減缶している)/速力20ノット
 兵装:12cm単装砲3基


海鳳 -HaiFeng-

 大同2年(昭和8年)に日本海軍の指導の元で川崎造船所が建造した190トン型(200トン型と称したらしい)の警備艇。
 海上警察隊の主力艇で専ら日本海軍出身者により運航されていた。
 開戦後は海上護衛に従事。後に海威などと同じく日本海軍に貸与されている。
 終戦時は旅順に在泊。戦後はソ連に接収され漁業保護船として使用されたらしい。

 排水量204トン/全長43.8m/ディーゼル500馬力/速力14ノット
 兵装:6cm単装砲2基、7.7ミリ単装機銃2基

 同型艦:海龍(HaiLong)


海光 -HaiGuang-

 大同2年(昭和8年)に日本海軍の指導の元で川崎造船所が建造した50トン型(45トン型と称したらしい)の警備艇。
 小型ながら冬の渤海湾や黄海での活動を考慮して防寒設備や耐氷構造も備えた、なかなかの優秀艇だった。
 開戦後は警備任務の他に南方からの物資を輸送する大連汽船などの満州船の護衛などにも従事したが外洋で海上護衛を行うにはあまりにも小型なので苦労したらしい。
 終戦時は旅順に在泊していたが、その後の消息は不明。

 排水量56トン/全長25.5m/ディーゼル200馬力/速力12ノット
 兵装:7.7ミリ単装機銃2基

 同型艦:海瑞(HaiDuan)、海栄(HaiRong)、海華(HaiHua)



第一海辺 -HaiBian-

 日本海軍が主に重巡や空母の積載艇や根拠地の連絡艇として使用し、「長官艇」「高速艇」などと呼んでいた15m内火艇。
 特に高速という程では無いことから陸軍からは「いわゆる高速艇」などと馬鹿にされていたらしいが、安定はしていたので裏方では活躍、海上警察隊でも沿岸の警備や根拠地の連絡などで活躍したらしい。

 排水量12トン/全長15m/石油機関160馬力/速力13ノット
 武装:7.7ミリ単装機銃1基

 同型艦:第二海辺、第三海辺、第四海辺、第五海辺



航空部隊

 海上警察隊航空部隊は日本海軍の予備役下士官搭乗員や整備員を中核にした20人程度の部隊で、沿岸や海上の警備の他、国軍や他の警察に協力する形で各地の匪賊討伐なども活躍した。
 しかし、開戦後はベテラン搭乗員や整備員が充員召集を受けたり他に転出したりで戦力が低下、終戦時にはほとんど活動できない状態になっていたらしい。

 使用機は開隊時に関東軍から譲渡された張学良軍のシュレック飛行艇(4機)と名前から国産機のようでもあるが、詳細不明の四座の両用機「千鳥号」軽旅客機(2機)を除けば日本製で以下の機体が使用された。


九四式艦上爆撃機(2機)

 ドイツ・ハインケルの輸出型He66を一部改定した日本海軍初の急降下爆撃機。
 比較的新しい機体であり、海上警察航空部隊の主力として主に匪賊討伐など戦闘任務で活躍した。

 全長9.4m/全幅11.37m/愛知「寿」二型改一460馬力/速度281km/h
※「満州警察外史」では八九式艦上爆撃機としているが、その型番は存在せず、写真で見る限り九四式に見えるので、ここでは九四式とした。

八七式軽爆撃機(2機)

 海外メーカーの輸入&ライセンス生産を脱却し国産を目指した三菱の野心作・十三式艦上戦闘機(海軍)を陸軍の軽爆仕様に改造した機体。
 「万能機」として重宝された機体だけに、やや旧式ながら使い勝手が良く、海上警察でも九四式艦爆に次ぐ主力として活躍した。

 全長10m/全幅14.8m/イスパノスイザ450馬力/速度185km/h

九〇式水上偵察機(2機)

 アメリカ・ボートのO2Uコルセアを中島がライセンス生産した機体。
 主に大型艦の艦載水偵として日中戦争の頃まで活躍したが、満州でも主に偵察や連絡業務、匪賊討伐と幅広く活躍したらしい。。
 資料によって「陸上でも使用」とあったり、<海威>とセットで譲渡(<海威>の前身の<樫>は譲渡前は駆逐艦に水偵を搭載する実験プラットフォームとして使用されていた)とあったりして記述が割れている。

 全長8.87m/全幅10.98m/中島「寿」二型改一460馬力/速度232km/h
※上のデータは水上機型の二型だが、もしかすると一型だったのかもしれない