明治22年度計画により摩耶型の後継としてフランス造船官エミール・ベルダンにより設計された中型砲艦。
 船体はフランス式で機関も日本艦艇としては珍しい直立式の汽車缶を装備するなど、かなり異色な存在であったが、性能は優秀だった。

 日本海軍の想定が沿岸防衛から侵攻戦へ変わった事、快速・小口径の重視(というよりは戦艦の不足)という用兵思想の変化に伴い、我が沿岸警備用の砲艦としては最後の艦となった。

 日清戦争では朝鮮半島の偵察等に活躍したが、日露戦争では開戦早々の明治37年5月17日、旅順沖を哨戒中に砲艦<赤城>に右舷から衝突され、沈没した。
 <赤城>も600トンクラスの砲艦であり、普通なら助かっていた可能性が高いのだが、衝角〜体当たりして敵艦を沈めるツノ〜がついていた事が悲劇だった。


大島の戦い:誰の呪い? 〜初瀬ほか〜

 明治37年5月、日本海軍はたしかに呪われていた。
 5月14日、旅順港外で掃海任務を完了し、撤収準備中の通報艦<宮古>が触雷・沈没。
 5月15日、旅順港封鎖作戦中の戦艦<初瀬>が触雷、沈没。救助に向かった戦艦<八島>も触雷・爆沈。
 同日深夜、二等巡洋艦<吉野>と一等巡洋艦<春日>が衝突、<吉野>が沈没。
 2日後の17日には砲艦<大島>と砲艦<赤城>が衝突、<大島>が沈没した。
 各地で事故が相次ぎ、ロシア艦隊と一戦を交える前に壊滅的損害を被ってしまった。


大島要目(新造時)

 名  称   大島
 ネームシップ  −−−
 建造時期  明治25年3月31日
 建 造 数 1隻
 常備排水量  640トン
 垂線間長   53.65m
 水 線 幅   8.20m
 吃  水   2.75
 主  機   直立3気筒3段膨張式レシプロ機械 2基
 推 進 軸 2軸
 主  缶   円缶(石炭専燃) 2基
 公試出力   1217馬力
 計画速力  13ノット
 航 続 力 −−
 燃料搭載量  石炭70トン
 乗  員   130名
 兵  装   12センチ単装砲 4基
 47ミリ単装速射砲 5基
 8ミリ5連装機砲 1基