明治36年度計画により建造された河用砲艦。
 36年度計画では河用砲艦2隻が建造されたが、駆逐艦の時と同じく、ソーニクロフト社とヤーロー社に発注され、ソーニクロフト製のものを<隅田>と称した。

 61センチと極端な浅吃水艦で、外洋航行能力はなく、イギリスで建造後、分解して輸送する水雷艇方式により上海で竣工した。
 排水量は僅かに126トンと大型の水雷艇よりも小型であるが、菊の紋章を備えた軍艦で、艦長室などはそれなりの艤装が施されていた。

 機関出力の関係上、三峡を越えてる事はできず、活動範囲は上海から宜昌までに留まったが、長期間に渡り、大陸の警備に活躍した。
 第一次世界大戦では中国が中立を宣言、外洋航海が出来ない為、内地に戻ることもできず抑留されるという悲劇が生じた。

 昭和10年に老朽化により除籍。その生涯を通じ、一度も日本を訪れた事はないという、極めて珍しい艦である。(他には回航途中で事故で失われた<畝傍>、建造中に売却された<江風>などがある)



隅田要目

 名  称   隅田
 ネームシップ  −−−
 建造時期  明治39年4月17日
 建 造 数 1隻
 常備排水量  126トン
 垂線間長   44.20m
 水 線 幅   7.32m
 吃  水   0.61
 主  機   直立2気筒2段膨張式レシプロ機械 2基
 推 進 軸 2軸
 主  缶   ソーニクロフト式水管缶(石炭専燃) 2基
 公試出力   680馬力
 計画速力  13.0ノット
 航 続 力 −−−
 燃料搭載量  石炭25トン
 乗  員   44名
 兵  装   6センチ単装砲 2基
 6.5ミリ単装機銃 4基
 陸式単装機銃 1基(陸軍用の重機関銃)