機関:ディーゼル 



 ディーゼル機関は1893年にドイツのルドルフ・ディーゼルにより発明された内燃機関の一種です。
 仕組はガソリンエンジンなどと同じくシリンダ内で燃料(普通は重油)を爆発燃焼させ、その圧力でピストンを動かし、ピストンに取りつけた連結棒でクランク軸を回転させて動力とする方法ですが、ガソリンエンジンと異なり、点火プラグなどの点火機構を使用せずに空気が圧縮されると発熱する性質を利用して着火を行ないます。
 レシプロやタービンなどの蒸気機関に比べて燃費が良好、缶が不用(機関の容積縮小、煙突や煙路レイアウトの自由、起動の早さなどの長所と構造の複雑化による建造費の高騰や故障の多発、高出力発揮の困難、騒音や震動という短所があります。
 燃費が良好という特性から、商船の主力機関になりますが、軍用では巡航用の機関として研究されるほか、煙突が不用という利点を活かして潜水艦用の機関として発展しました。

 日本海軍のディーゼル使用は他の新技術と同様、まずは外国企業からの購入→試用→ライセンス生産という形でスタートし、シュナイダー、フィアット、バーマイスター・ウェイン、ヴィッカーズ、ズルザー、マンなど各社の製品を導入した結果、昭和初期の頃にはズルザーの製品を独自に改良したズ式とマンの羅式(マンなのにラなのはマンから直接購入せずラウシェンバッハを経由して購入した為)に落ちついていました。
 昭和に入ると軍縮条約による個艦優越主義の台頭や潜水艦の大型化によりディーゼルの出力向上が要求されるようになります。海軍では例により外国企業からの購入を計画しますが予算削減をうけて購入を断念、自力開発に切り替えます。
 昭和6年11月、多くの困難を乗り越えて国産初の復動ディーゼル・艦本1号内火機械(8気筒で4500馬力)が誕生、昭和11年には艦型拡大に対応すべく改良を加えた艦本2号内火機械(10気筒で6200馬力)を完成させる事に成功しました。
 ところが、艦本2号は複雑で量産に適さなかった為、大戦中の艦では主に中型潜水艦用として艦本2号と平行して開発されていた艦本22号内火機械(10気筒で1925馬力)が使用されました。
 さらに、、艦本22号でも数が必要な海防艦や敷設艇、小型潜水艦の需要を満たせなかった為、三菱横浜が開発した艦本23号や発電用を改造した艦本24号なども生産されました。
 また、波号潜水艦や特務艇には中低速400馬力程度の民生用ディーゼルも搭載されました。

 大型水上艦用の大出力ディーゼルはドイツの<ドイッチェラント>に刺激をうけ、昭和7年より自力開発に着手、艦本11号内火機械を開発しました。しかし、試作機と実用機の平行開発という不思議な開発方法をとった為か、出力は計画の半分ぐらいしか出ないのに、故障は続出と完全な失敗作となり、<千歳>などはディーゼル・タービン併用艦なのに巡航タービンが搭載されているという(普通は巡航はディーゼル、全力時にタービンを使う)奇妙な船になってしまいました。
 11号がとんでもない結果に終わった為、真打として次期戦艦用に研究が進められていた13号も次期戦艦(大和型)への搭載は中止となり、とりあえず実験を継続する為に搭載された水上機母艦(甲標的母艦)<日進>もあっさり沈んでしまった為に水上艦艇用大出力ディーゼルは完成の域に達する事無く終戦を迎えてしまいました。

 今日、大型船の約80%がディーゼル推進であり、軍用艦艇もディーゼルが主流となっていて、海自では護衛艦以外はほぼ全ての艦艇がディーゼルで、護衛艦もDEシリーズはディーゼルまたはディーゼルとガスタービン共用(CODOG)となっています。(DDシリーズはガスタービンに移行しつつあり、ディーゼルまたは蒸気タービンの艦が若干残っている程度です。)



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