絵葉書ギャラリー <山雲>





山雲・絵葉書1 山雲・絵葉書2

 <山雲>は昭和9年度計画により計画された朝潮型駆逐艦の6番艦。建造は藤永田造船所、進水は昭和12年7月24日、竣工は翌13年1月15日。
 朝潮型駆逐艦はロンドン軍縮条約の期限切れを見越して計画された特型(吹雪型)以来の大型駆逐艦で吹雪型に比べて速力・航続距離と魚雷発射管数(ただし次発装填装置と酸素魚雷の採用により攻撃力ではむしろ優勢)で若干劣るものの、砲力、艦型がほぼ同等、復元性能や安定性では優れており、太平洋戦争では日本駆逐艦の主力として活躍、全艦が戦没しています。
 開戦時、<山雲>は第四水雷戦隊に属しフィリピン、ジャワ、ボルネオ方面で活動。スラバヤ沖海戦などに参加しました。
 その後、ミッドウェイ作戦に従事した後にソロモン方面に移り輸送作戦に従事、昭和19年6月にはマリアナ沖海戦と常に最前線で戦いつづけますが、昭和19年10月の比島沖海戦で西村艦隊に属しスリガオ海峡に突入、圧倒的な敵艦隊と交戦の末に沈没しました。

 右側の絵葉書は上下に北洋と南洋の絵を配し、真中に疾走する<山雲>。別に太平洋戦争を予期した訳ではなく、単なるイメージ絵だったのでしょうが、5年後にこの絵は現実になります。(<山雲>そのものは大戦中は北洋には行ってませんが)
 艦の絵は、日本軍の絵葉書としては割と艦型がよく出ている方で後部砲が背負い式になっている点などが見られますが、連装砲なのか単装砲かは読み取れず、後部の魚雷発射管も不鮮明です。

 左側の絵はイメージ絵で山と雲。山が金剛山(大阪府と奈良県の間にある山)なのは<山雲>を建造した藤永田造船所は大阪の会社だからでしょう。
 下の方の合戦の絵は「千早ノ奮戦」とタイトルがついているので、楠木正成の千早城(金剛山にある山城)の攻防戦のようです。あんまり駆逐艦に関係ないような気もしますが・・・

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