日本海軍の化学兵器



 近代戦において一般的に言う意味での「化学兵器」が使用されたのは第一次世界大戦中の大正3年(大正4年にドイツ軍がイープルで塩素ガスを使ったのが最初という説が一般的ですが、これは「大規模使用」の話であって、その前にフランス軍が催涙手榴弾が使ったらしい)のヨーロッパで、すぐにホスゲンだイペリットだのと物騒な薬剤が飛び交うまでにエスカレートし、絶大な被害をもたらしました。
 日本でも陸軍が早くから化学戦の研究を開始、ヨーロッパに技術者を派遣したりしますが、海軍でも大正11年ごろから化学戦に注目、大正12年に海軍技術研究所に化学兵器研究室を開設して研究開発を開始します。
 昭和6年に後に相模海軍工廠となる平塚に移転、昭和10年には化学研究部に昇格し昭和17年頃から化学兵器の製造・開発に取り掛かりますが、大戦末期には本土決戦に向けて温存の方針もあった事から実戦での使用には至らなかったようです。

 今回は日本海軍の化学兵器について簡単に紹介します。


1号特薬(N剤)

 クロルアセトフェノン(塩化アセトフェノン)を主成分とする薬剤で、いわゆる催涙剤。陸軍では緑一号と言いました。
 眼に入ると激しい刺激で涙が止まらなくなりますが、時間の経過と共に影響は急速に薄れ、障害が残る事はほとんどありません。ただし、大量に吸引すると、ごく稀に肺水腫を起こして重症となる事があります。

 影響が残りにくいことから、今日では軍用の化学兵器としてより警察などの暴徒鎮圧用の武器として使用される方がはるかに多く、世界各国で広く使われており、日本でも学生運動華やかりし頃にはかなり大量に使ったようですし、「ペッパーガス」などと呼ばれる護身用スプレーとして合法的に入手する事もできます。
 日本海軍は比較的小型の爆弾での使用を考慮していたようですが、陸戦でも使うつもりだったらしく、催涙筒などが製造されたようです。
 対抗策として過マンガン酸カリウムを主成分とする1号除毒剤を用意していました。タマネギ汁やレモン汁、酢等が効くという「民間伝承」があり、デモなどで治安部隊と衝突しそうな時は準備されるようです。

2号特薬(S剤)

 ジフェニルシアンアルシンを主成分とする薬剤。くしゃみ剤、またはくしゃみ嘔吐剤などと呼ばれ、陸軍では赤一号と言いました。
 吸引すると鼻や喉の粘膜を激しく刺激してくしゃみや嘔吐などの症状が出ます。また、血液中の酸素吸入機能が麻痺して頭痛などの症状が出たり、重症になると深刻な障害が残る事もありえます。

 致死量が多い割に無力化量が少ないので無力化ガスとして使われる事もあるようですが、クロルアセトフェノンなどの催涙系の化学兵器の方が安全で効率が良いようなのであまり使われないようです。
 日本海軍は何につかうつもりだったのかは不明ですが小型の爆弾などが搭載を考慮されていたようです。
 対抗アイテムは塩素と四塩化炭素の混合薬である2号除毒剤です。(水酸化ナトリウムとする資料もありました)

3号特薬(T剤)

 イペリットを主成分とする薬剤。びらん剤と呼ばれるタイプの化学兵器で陸軍では黄一号。
 1号と2号がどちらかといえば無力化兵器であったのに対し、マスタードガスとも呼ばれるイペリットは「本物」の化学兵器で、皮膚に触れると数時間で火傷に似た症状(びらん)を起こします。神経ガス(サリンなど)に比べると致死性はやや低いのですが、眼に入ると失明の危険がありますし、肺に入って肺水腫となって重症となる事もあります。また、大量に浴びると全身火傷と同じ状態ですから当然死亡します。
 さらに、本剤でびらんすると治癒が非常に遅い為、感染症を併発する事も多くあります。また、白血球の減少を引き起こしたり、遺伝子障害を起こし発ガン率を引き上げる効果もある極めて危険な物質です。

 第一次世界大戦やイタリア=エチオピア戦争などで使用された古い化学兵器ですが、現在でも各国で製造・備蓄され、イランやイラクは実際に使用しました。
 日本海軍は敵兵士に浴びせるよりも、持続時間が長い事を利用して爆撃などの際に爆弾に混ぜ、復旧作業を阻害する事を主目的に整備していたようで本剤入りの30kg爆弾などが製造されました。
 対抗アイテムは塩素(晒粉)の3号除毒剤。全身を覆う防毒衣も用意していました。

4号特薬

 ホスゲンを主成分とする薬剤。窒息剤とか致死剤と呼ばれます。陸軍では青一号。
 効能的には1号や2号に近く、涙が出たり咳き込んだりしますが、威力は強烈で少量でも肺水腫を起こして窒息死に至ります。

 第一次世界大戦で使用された古い化学兵器ですが現在も現役で使用されます。
 化学兵器として以上に工業用として広く使用されており日本でも漏出事故を起こして死者を出したこともあります。また、塩素ガスと同様、一般家庭にある品の組み合わせにより非常に簡単に製造できるので「使用上の注意」を読まない不注意者が知らずに製造して中毒事故を起こした例もあります。
 日本海軍が何に使う予定だったかは不明です。終戦時に保有していたのは確かなのですが、資料によっては3号までしか記載されていないものもあり、少々イレギュラーな存在〜たとえば本土決戦の陸戦用とか〜だったのかもしれません。



 その他、前述のようなモロの「化学兵器」以外に「化学」を利用した兵器の研究も行っていました。

 「一号煙薬」。艦艇や航空機が煙幕を展開するのに使用する薬剤で主成分は無水硫酸とクロロズルホン酸。「重い」煙が大量に発生します。

 「三式通常弾」。平射砲で対空戦闘を行うべく開発された特殊砲弾で、弾腔内に75mm×25mm程度の鉄管に特殊焼夷剤を圧填した弾子を多数並べた砲弾で、弾子が飛び散って広範囲に損害を与える事ができました。
 対空用として開発され、46cm砲から12.7cm砲まで、各砲用の砲弾が製造されました。また、飛行場攻撃でも成果をあげています。
 同じような仕組みの「空対空爆弾」も制作されました。

 「風船爆弾」。風船爆弾といえば和紙と蒟蒻芋で作られる奴が有名ですが、海軍の風船爆弾は絹製ゴム引きで陸軍仕様に比べて非常に小型でした。
 海軍ではアメリカの近海まで潜水艦で運んで、そこから放球する予定だったようですが戦局の悪化に伴い実行されず、開発を一本化する為に資料や試作品は全て陸軍に譲渡されました。

 この他、阻塞気球や消火液などの研究も行っていたようです。


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