日本海軍は迎撃海軍であり、通商路の確保は沿岸・日本海・黄海・東支那海しか考えてなかったが、昭和13年ごろから情勢の変化により南方航路の護衛整備が急務となり、昭和16年度計画により建造された護衛艦。
 戦時(支那事変)という事もあり、新たに設計する余裕が無かった為、占守型の改良という事で建造されたが、これが致命傷となった。

 占守型に比べ、艦橋および艦尾を簡略化し、所要工数は7万工数と約2割の削減を実現しているが、モデルとなった占守型そのものがかなり複雑な艦で、平均建造月数は11カ月と戦時急造艦としては失格であり、武装や装備面でも、北洋でソ連艦と「小競合い」を目的に建造された占守型と同等で、南方の航路警備に必要な対空・対潜能力を欠いた完全な失敗作となった。

 公式分類上は占守型に属するが、基本設計番号からして占守型がE15、択捉型はE19と異なっており、ここでは別種として扱った。

 本型は昭和18年頃から完成し、苛烈な護衛戦で14隻中7隻を失っている。

甲型(択捉)要目(新造時)

 名  称   甲型(択捉型)(公式には占守型)
 ネームシップ  択捉
 建造時期  昭和18年5月15日〜昭和19年2月27日
 建 造 数 14隻
 基準排水量  870トン
 全  長   77.7m
 水 線 幅   9.1m
 吃  水   3.05m
 主  機   艦本式22号X型ディーゼル2基
 推 進 軸 2軸
 主  缶   −−
 出  力   4200馬力
  計画速力  19.7ノット
 航 続 力 16ノットで8000浬
 燃料搭載量  重油200トン
 乗  員   147名
 兵  装   12.7センチ45口径単装砲 3基
 25ミリ連装機銃 2基
 爆雷36個(投射機1基、投下台6台 

同型艦:
択捉、松輪、佐渡、隠岐、六連、壱岐、対馬、若宮、平戸、福江、天草、満珠、干珠、笠置