東京オリンピックを見越し、日本郵船が政府・海軍の支援を受けて建造した欧州航路向けの新田丸型大型貨客船。
<新田丸><八幡丸>は商船として完成したが、第二次欧州大戦の勃発により欧州航路が休航となっていたため、サンフランシスコ航路に就役した。(八幡丸は第一次航海のみシアトル航路)
まず建造中の<春日丸>が徴用・空母改造となり、続いて<八幡丸><新田丸>も空母に改造された。このため、商船としては「新田丸型」で新田丸が長姉で次いで八幡丸、春日丸の順であるが、空母としては「大鷹型」で春日丸(大鷹)が長姉、次いで八幡丸(雲鷹)最後が新田丸(沖鷹)と逆転しているところが面白い。
艦隊空母の補助として使用されてる予定であったが、空母としては小型・低速に過ぎた為に新型機の運用が困難であった為、ほとんど活躍する機会は与えられなかった。
<大鷹>は昭和19年8月18日に比島沖で船団護衛中に、<雲鷹>は昭和19年9月17日に東沙島沖で船団護衛中に、<沖鷹>は昭和18年12月4日に八丈島沖で航空機運搬中に、それぞれ潜水艦の雷撃を受けて沈没した。
日本商船団の花形、大洋の女王として生まれた船のあまりに哀しい最期であった。
排水量 17830トン/全長 180.24m/機関 タービン2 25200馬力/速力 21ノット/兵装 12センチ単装高角砲*4、25ミリ連装機銃 搭載機23機+4機
昭和13年、政府・海軍の支援(船価の6割を負担)を受けて日本郵船が建造したサンフランシスコ航路向け超大型豪華客船<橿原丸><出雲丸>の後身。
なぜか買収後に特設空母に編入されており、「海軍所有の海軍徴用船」という、非常に不思議な事になっている。
本来は平甲板型になる予定だったが、煙突一体型艦橋の予備実験を行う事となり、重厚な独特の艦型となった。
他の改造空母と異なり、大型で速力も大きく差し支えがでる程ではなかったため、ミッドウェイ海戦で正規空母群が壊滅した後は主力空母として活躍した。
<飛鷹>は昭和19年6月20日のマリアナ沖海戦で米機の攻撃をうけ沈没、<隼鷹>は昭和19年12月9日に米潜の雷撃をうけ中破状態のまま終戦を迎えた。
余談であるが、日本郵船が満を持して建造した日本最大の豪華客船<飛鳥>と橿原丸型の総トン数がほぼ同じ(27000総トン)なのは単なる偶然なんだろうか?
排水量 24140トン/全長 219.32m/機関 タービン2 56250馬力/速力 25.5ノット/兵装 12.7センチ連装高角砲*6 25ミリ3連装機銃*8 搭載機48機+5機
船名 | 船主 | 総トン数 | 終末・備考 |
春日丸 | 日本郵船 | 17130 | 17.8.31 軍艦/航空母艦に転籍 |
八幡丸 | 日本郵船 | 17128 | 17.8.31 軍艦/航空母艦に転籍 |
新田丸(沖鷹) | 日本郵船 | 17150 | 17.11.25 軍艦/航空母艦に転籍 |
飛鷹 | 海軍 | 27500 | 17.7.14 軍艦/航空母艦に転籍 |
隼鷹 | 海軍 | 27700 | 17.7.14 軍艦/航空母艦に転籍 |