特設急設網艦

 主に防潜網を敷設するため敷設艦を急設網艦という。
 防潜網を敷設する船のうち、比較的大型で艦隊に随伴し、前進基地での行動を目的としているものを急設網艦、後方基地の防潜網敷設を目的としたものを捕獲網艇といい、どちらも艦艇・特務艇としてはかつては存在したが、開戦時には削除されていた。
 余談であるが、艦艇としての急設網艦は昭和2年に分類が制定され、<白鷹>が建造されたが、完成した時には敷設艦に統合されており、1隻も該当船が存在しない「幻の艦種」である。

須磨ノ浦丸(三菱汽船)

 昭和15年に三菱商事船舶部が北海道炭の輸送を目的に建造した近海向け中型貨物船。
 就役直後に徴用を受け、特設急設網艦に改造、第二根拠地隊に属し内海で訓練を行い、昭和16年6月より中南支方面の警備に出動、仏印進駐にも参加した。
 開戦後はリンガエン方面(比島)の上陸部隊の護衛と占領後の港湾防備を担当。その後は蘭印方面に移りタラカン攻略に参加した。 続くバリクパパン攻略では湾内に強行進入して防備を行う任務を帯びて出撃、空襲で僚船<阿南丸>が航行不能になるなどの損害を出しつつもバリクパパンに到着した。しかし、上陸作戦中の1月24日、護衛部隊の虚を突いて殴りこんできた米駆逐艦<パロット><ポール・ジョンズ>の雷撃をうけ、搭載機雷が誘爆、轟沈した。生存者はわずかに9名だった。

総トン数 約3519トン/全長 104.82m/機関 レシプロ1 2300馬力/速力 13ノット





特設急設網艦一覧
船名船主総トン数終末・備考
須磨ノ浦丸三菱汽船351917.1.24 水上戦により沈没
西安丸大連汽船371217.8.25 運送船に転籍

※<須磨の浦丸>の終末状況は「日本郵船戦時船史」(日本郵船)に拠ったが、「昭和造船史」(日本造船学会)では喪失原因が「空襲」となっている事を補足として特に記す。