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初霜訪問記

 東京遠征4日目。昨日で有明のアレも終了。あと1日、東京観光という事で今回は駆逐艦<初霜>の錨を拝み、靖国神社を詣でて帰る事にする。

山田記念病院 
山田記念病院。一見、普通の病院のように見えるが
本当に普通の病院である

 まず、<初霜>の錨。これは墨田区の山田記念病院の名誉院長・山田正明さんが<初霜>に勤務された事があり、その縁で病院の庭先に保存されています。

 JR錦糸町で降りてバスに乗り換え。実は大原三丁目としか知らないのだけど、なんとかなると思ってたら、なんとかなりました。部屋はシングルの料金でダブルに泊まれたし、横浜では昼食会に飛び入り参加できたし、今回は割とツイてるようです。
 バス停を降りて角を入ったところで山田記念病院発見。駐車場に錨も発見して、さあ写真撮影・・でも<志賀>の時みたいに不審者扱いされたらたまらんよな(警察呼ばれた)、特にこの錨は個人の所有物だし、ここは病院だからプライバシー関係も問題あるし、病院の人に断っておこう・・受付の美人の看護婦さん、忙しいところを申し訳ありませんでした。


初霜の錨 
駆逐艦<初霜>の錨。ホールス型ストックレスアンカーという。
重さは1.4トン。<初霜>はこれを2個積んでいた。

 駆逐艦<初霜>。初春型駆逐艦の4番艦で昭和9年9月27日竣工。<初霜>を含めた初春型の後期艦や有明型は水雷艇<友鶴>の転覆事故の影響で設計を一部訂正するというケチが付いてしまっていますが、<初霜>はそのほか、進水の為に船台を滑走中に途中で止まってしまうという珍しい不運にも見まわれています。
 太平洋戦争では第一艦隊(主力部隊)に属していた為、初期に大きな作戦への参加はなく、事実上の初陣は昭和17年のアリューシャン攻略作戦(ミッドウェイ作戦)でした。
 昭和18年7月のキスカ島撤収作戦では駆逐艦<若葉><長波>と三重衝突を起こしますが、<初霜>の損傷も軽微なもので作戦も成功に終わりました。
 レイテ沖海戦ではスリガオ沖で潰滅した志摩艦隊に属していましたが、輸送任務に分遣されていて無事でした。

 その後、第二水雷戦隊に移り、昭和20年4月、菊水作戦に参加。もはや戦術的にも戦略的にも意味のない、作戦とはいえないような作戦でしたが、これに参加した戦艦<大和>、軽巡<矢矧>、駆逐艦<冬月><磯風><浜風><雪風><朝霜><初霜><霞><涼月>はまさに「最後」の水上戦力でしたが、結果は周知のとおり、生き残った各艦も<涼月>が被弾2発57名戦死。<冬月>は被弾2発12名戦死。「奇跡の駆逐艦」<雪風>も被弾1発3名戦死と損害を出しましたが<初霜>は1発の命中弾も受けず、戦死者もナシという「奇跡」を起こしました。
 帰路、溺者救助を行ないましたが、初霜艇が溺者を艇に群がる溺者を日本刀で斬り付けたという記述が吉田満の著作中に登場し、物議を醸しました。(初霜関係者などは否定しているし、客観的に判断すると救助に向かった端艇要員がわざわざ日本刀を持っていったというのは少し考えにくい)
 作戦後、残存艦艇は宮津湾に移動、本土決戦に備えます。7月30日、対空戦闘中に任意座礁を試みたのですが、その瞬間に触雷、爆発を起こし破壊(座礁中だったので沈んでないが、事実上の喪失)。終戦のわずか16日前のことで、日本駆逐艦で最後の戦没艦となりました。

 と、幸運だか不運なんだかいまいち判らない艦だったようです。

 さて、錨を見たので次ぎは靖国神社。いろいろと言われている神社だけど、今日の繁栄の礎になった人達の祭られているところだし、私はここ(海KISS)のような「ふざけている」とも取れるHPを作ってはいますが、一応は「戦死者を嘲笑しない」など一線を決めており、それを越えてないか自省する為にも出来るだけ上京したときは参拝するようにしています。(崇敬奉賛会にも個人の分とこのHPの分で2口で入っていたりします)
 今回は昇殿せず、拝殿参拝で済ませる。境内に若い人のグループ発見。うん、感心な若者である(自分も20代の癖に何言ってんだか)・・・と思ったら参拝せず売店に直行。何してんだか・・・売店にいくと、さっきのグループが騒いでいる。会話から察するにこいつら軍事マニアだ・・・ここは神社で、しかも神門の内側だって事を理解してんのか・・・・
 不愉快な気持ちになりながらも遊就館へ。展示物を見てるとさっきのグループが。駄目だ、こいつら、ここを軍事博物館か何かと勘違いしていやがる・・
 私も、遊就館の展示物については英霊の遺芳以外の観点で見ることがあるけど、展示模型に文句をつけたり、遺品の前でその人を批判したりはしないぞ・・
 しかし、これは不愉快になるだけではいけない。同じ軍事マニアとして他山の石にしなければ・・と決心だけはしておく。


昭和館 
有名な看板(笑)。横には配給切符など生活用品が並ぶ。

 さて、参拝終了。これで予定終了なので神保町にでも寄って、あとは帰阪するだけ・・と思ったけど、九段南に建設中だった博物館らしき建物が出来ていたので覗いて見る。
 「昭和館」。戦前・戦中・戦後の国民生活の労苦について残す・・ふーん、この手のテーマって、どうやっても反戦系になりがちなんだけど、場所が場所(靖国神社の斜め向かい、千鳥ヶ淵公園と九段会館の隣)だけにどうなっているのか入ってみる。
 主に生活用品やそれに関係する物を集めたようで、結構面白い。おぉ、有名な看板発見。解説が必要最小限しかないので、ぱっと来た人には不親切かもしれないけど、それゆえ、左右どっちにも変な誘導がなく、事実を淡々と述べる姿勢は好感が持てます。
 だいたい、「戦争の悲惨さ」を訴えたいのであれば、余計な言葉を重ねたりしなくても、事実と資料だけで充分だと思います。本質的に戦争って悲惨なもんなんだから・・・


 この後、神保町で買い物などして大阪へ・・また来年。次はどこにいこうかな?