本艇は正しくは「駆潜艇」ではなく、「駆潜特務艇」である。

 日本海軍は平時から対潜艦艇の不足を補う意味で木造の小型艇の研究を進めており、国際情勢の悪化に伴い、昭和16年度計画により100隻を建造した。
 さらに、昭和18・19年度の戦時計画でさらに100隻を追加、主機の供給が追い付かず、着工が1年以上遅延するというトラブルの中で、これらを全て完成させた関係者の尽力は特筆に値する。

 一見、漁船か曳船に爆雷と機銃を積んだだけの船のようにみえるが、実際にそのとおりで建造は国内の木造船の造船所を総動員して建造された為、造船所欄に舞鶴工廠とか三菱長崎の文字はなく、市川造船所だ佐賀造船所といった、他では(特務艇以外では)中々見られないような造船所が並んでいる。
 当然、これらの造船所では兵装は扱えないので、船体だけ作った後は各工廠で作業を行なった。

 外見に似ず、小型軽快で使い勝手が良く、北千島からソロモンまで基地警備に活躍。戦争末期になり磁気機雷により沿岸が封鎖されると木造の利点を活かし掃海にも活躍した。

 戦後は35隻が海上保安庁および海上自衛隊に移り、絶望的な日本近海の掃海任務に従事し、ついに日本近海を安全な海とした功績はいかなる武勲より顕彰されるべき殊勲艦である。

 同一艦型としては日本艦艇最多の200隻が建造され、61隻が失われた。

第1号駆潜特務艇の戦い:最後の損失 〜第202号駆潜特務艇〜

 第202号ら、生き残り、掃海船として海上保安庁に所属となった駆潜特務艇や哨戒特務艇は、昭和25年の朝鮮戦争の掃海任務に出動している。
 その中で、海上保安庁掃海船「MS14」(元第202号駆潜特務艇)は昭和25年10月17日、朝鮮半島永興湾で蝕雷、太平洋戦争とその後の混乱期を生き延びた幸運も及ばず、敢え無い最後を遂げている。


第1号駆潜特務艇要目(新造時)

 名  称   第1号型
 ネームシップ  第1号駆潜特務艇
 建造時期  昭和18年3月15日〜昭和20年1月22日
 建 造 数 200隻
 基準排水量  130トン
 全  長   29.20m
 水 線 幅   5.65m
 吃  水   1.97m
 主  機   中速400馬力ディーゼル機関 1基
 推 進 軸 1軸
 主  缶   −−−
 出  力   400馬力
  計画速力  11ノット
 航 続 力 10ノットで1000浬
 燃料搭載量  重油6トン
 乗  員   32名
 兵  装   7.7ミリ単装機銃 1基
 爆雷22個(投下条2基) 

同型艦:
第1号〜第100号、第151号〜第250号