昭和6年の第一次補充計画による、「縮小版」特型というべき駆逐艦。

 ロンドン軍縮条約で駆逐艦の総排水量に制限を受けた為、単艦の排水量を減らす事で対処する事とし、特型より小型の本型が計画された。
 が・・縮小の方法が問題で、「主砲を1門減らすだけで280トン減らせ」という、無謀な計画で、次発装填装置の為に魚雷発射管の位置を上げるという、無理な事をした上に、さらに用兵サイドの要望で排水量を100トン削ったたのが致命傷となり、旋回時に大傾斜するという、とんでもない事になってしまった。

 旋回傾斜の方はバルジを取り付けて回避したが、今度は同種の設計による水雷艇<友鶴>が転覆する、いわゆる「友鶴事件」や船体強度の不足が露見した「第四艦隊事件」が発生、抜本改装を余儀なくされ、魚雷発射管1基と速力3ノットを犠牲に、なんとか、少なくとも台風でどうこうなる危険は減少した。

 特に5番艦<有明>、6番艦<夕暮>は、旋回傾斜騒ぎが起きた時、まだ工事が進んでいなかったので、艦型を改めたが、友鶴事件が起きた為に、船台上で元に戻し、傾斜対策に採用した二枚舵も竣工後、効果無しとして撤去、<有明>で採用された中部船体フレアも<夕暮>では廃止と、「産みの苦しみ」と言うべき相当な紆余曲折が繰り広げられた。

 太平洋戦争には6隻全てが参加、前線で奮闘し、全艦が戦没した。



初春型要目(新造時)

 名  称   初春型(有明以降を有明型と称する事もある)
 ネームシップ  初春(有明型は有明)
 建造時期  昭和8年9月27日〜昭和10年3月30日
 建 造 数 6隻(うち有明型は2隻)
 基準排水量  1400トン(有明型1700トン)
 全  長   109.5m
 水 線 幅   10.0m
 吃  水   3.0m(有明型3.5m)
 主  機   艦本式オール・ギヤードタービン2基 
 推 進 軸 2軸
 主  缶   ロ号艦本式水管缶3基(重油専燃) 
 出  力   42000馬力
  計画速力  36.5ノット(有明型34ノット)
 航 続 力 14ノットで4000浬
 燃料搭載量  重油465トン(有明型485トン)
 乗  員   205名(有明型214名)
 兵  装   12.7センチ50口径連装砲 2基
  12.7センチ50口径単装砲 1基
  40ミリ単装機銃 2基
  61センチ三連装魚雷発射管(次発装填装置付) 3基(有明型2基) 



初春型の航跡

初春(2) Hatsuharu
昭和8年9月30日、佐世保工廠にて竣工、一等駆逐艦に類別
昭和19年11月13日、マニラ湾で米軍機の攻撃を受け沈没
昭和20年1月10日、除籍
太平洋戦争では主に船団護衛に従事

子日(2) Nenohi
昭和8年9月30日、浦賀船渠にて竣工、一等駆逐艦に類別
昭和17年7月5日、アガッツ島沖で米潜<トライトン>の雷撃を受け沈没
昭和17年7月31日、除籍
太平洋戦争では主に南方およびアリューシャン方面で活動

若葉(2) Wakaba
昭和8年10月31日、佐世保工廠にて竣工、一等駆逐艦に類別
昭和19年10月24日、スル海で米軍機の攻撃を受け沈没
昭和19年12月10日、除籍
太平洋戦争では主に南方およびアリューシャン方面で活動

初霜(2) Hatsushimo
昭和8年9月27日、浦賀船渠にて竣工、一等駆逐艦に類別
昭和20年7月30日、宮津湾で触雷、沈没
昭和20年9月30日、除籍、戦後引揚げ、解体
太平洋戦争では南方・北方の諸作戦、マリアナ沖海戦、大和沖縄特攻等に参加

有明(2) Ariake
昭和10年3月25日、川崎造船所にて竣工、一等駆逐艦に類別
昭和18年7月28日、ツルブ沖で米軍機の攻撃を受け沈没
昭和18年10月15日、除籍
太平洋戦争ではインド洋作戦、珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦等に参加

夕暮(2) Yugure
昭和10年3月30日、舞鶴工作部にて竣工、一等駆逐艦に類別
昭和18年7月16日、ラバウル沖で米軍機の攻撃を受け沈没
昭和18年10月15日、除籍
太平洋戦争ではインド洋作戦、珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦等に参加