大正6年の八八艦隊計画の実施段階構想である八四、八六艦隊計画による中型駆逐艦。
従来のイギリス式設計とは根本的に異なる、純日本式の設計で、特型以前の日本駆逐艦の共通の特徴となる艦橋前方にウエルデッキが印象的。
波浪の影響をさける目的で砲を上部構造物の上に乗せた為、後の日本駆逐艦の宿痾となるトップヘビーの萌芽も見られる。
艦隊決戦時においては、八八艦隊の主力部隊(戦艦部隊)と行動を共にし、戦艦部隊を護衛するとともに、機会があれば水雷突撃を実施すべく計画されており、同時期に建造された水雷突撃専用の大型駆逐艦の峯風型に比べ、主砲と魚雷発射管を1基づつ減じ、機関出力も抑えられているが、それでも従前の二等駆逐艦はもとより、初期の一等駆逐艦すら圧倒する高性能艦となっている。
本型が建造された時期は、日本が総力を挙げての八八艦隊計画の真っ最中であり、各工廠や三菱長崎造船所のような大規模造船所は大型艦で手一杯となり、軍用艦艇の建造の経験の浅い民間の造船所で建造された為、工期がマチマチで、起工順の艦番と竣工時期が合わなくなっている。
本型は長く現役で活躍し、除籍後も哨戒艇などとして一線に留まり、太平洋戦争を戦った。
樅型の戦い:美保ヶ関事件 〜蕨、葦〜
昭和2年8月24日、山陰の美保ヶ関沖で、夜間襲撃訓練中に<蕨>が軽巡洋艦<神通>に丁字型に衝突され、両断されて沈没。さらに軽巡洋艦<那珂>と<葦>が衝突して<葦>が艦尾切断して大破する大事故が発生した。
日本海軍史に名を残す大惨事であるが、これは、また夜間襲撃にかけた日本海軍水雷戦隊の訓練の激しさを物語る事故である。
樅型要目(新造時)
名 称 | 樅型 |
ネームシップ | 樅 |
建造時期 | 大正8年12月27日〜大正11年7月31日 |
建 造 数 | 21隻 |
基準排水量 | 770トン |
全 長 | 85.3m |
水 線 幅 | 7.9m |
吃 水 | 2.4m |
主 機 | 艦本式オール・ギヤードタービン 2基※ |
推 進 軸 | 2軸 |
主 缶 | ロ号艦本式水管缶3基(重油専燃) |
出 力 | 21500馬力 |
計画速力 | 36ノット |
航 続 力 | 14ノットで3000浬 |
燃料搭載量 | 重油250トン |
乗 員 | 107名 |
兵 装 | 12センチ45口径単装砲 3基 |
| 6.5ミリ単装機銃 2基 |
| 53センチ3連装魚雷発射管 2基 |
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※主機について
<楡><柿><栂>は三菱・パーソンズ式、<菱><蓮>はパーソンズ式、<菫><蓬>はツェリー式を採用
樅型の航跡
樅 Momi
大正8年12月27日、横須賀工廠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和7年4月1日、タービン不良により除籍
昭和11年4月7日、不沈標的に改造
榧 Kaya
大正9年3月28日、横須賀工廠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、除籍
楡 Nire
大正9年3月31日、呉工廠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、除籍
昭和15年10月15日、雑役船に編入、戦後解体
栗 Kuri
大正9年4月30日、呉工廠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和20年10月8日、釜山沖で触雷により沈没
昭和20年10月25日、除籍
梨 Nashi
大正8年12月10日、川崎造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、除籍
竹 Take
大正8年12月25日、川崎造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、除籍、戦後解体。船体は秋田港防波堤として利用
柿 Kaki
大正8年12月25日、浦賀船渠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、除籍、戦後解体
栂 Tsuga
大正9年7月20日、石川島造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和20年1月15日、馬公沖で米艦載機の攻撃をうけ沈没
昭和20年3月10日、除籍
菊 Kiku
大正9年12月10日、川崎造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、哨戒艇に転籍。第31号哨戒艇と改称
昭和19年3月30日、パラオ沖で米空母艦載機の攻撃をうけ沈没
昭和19年5月10日、除籍
葵 Aoi
大正9年12月20日、川崎造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、哨戒艇に転籍。第32号哨戒艇と改称
昭和16年12月22日、ウェーク島攻略作戦で強行接岸、擱座放棄
昭和17年1月10日、除籍
萩 Hagi
大正10年4月20日、浦賀船渠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、哨戒艇に転籍。第33号哨戒艇と改称
昭和16年12月22日、ウェーク島攻略作戦で強行接岸、擱座放棄
昭和17年1月10日、除籍
薄 Susuki
大正10年5月25日、石川島造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、哨戒艇に転籍。第34号哨戒艇と改称
昭和18年3月6日、標的艦<矢風>と衝突、沈没※
昭和19年7月3日、トラック島で米軍機の攻撃をうけ沈没※
昭和20年1月10日、除籍
※何故か資料により2系統存在。現在、調査中。資料の信頼度としては昭和18年の方だが、除籍時期を考えると昭和19年の方も信憑性がある。
蔦 Tsuta
大正10年6月30日、川崎造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、哨戒艇に転籍。第35号哨戒艇と改称
昭和17年9月2日、ラエ沖で米軍機の攻撃をうけ沈没
昭和18年2月20日、除籍
藤 Fuji
大正10年5月31日、藤永田造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、哨戒艇に転籍。第36号哨戒艇と改称
昭和20年10月5日、除籍。戦後、オランダ軍に接収
葦 Ashi
大正10年10月29日、川崎造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、除籍、戦後解体
菱 Hishi
大正11年3月23日、浦賀船渠にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、哨戒艇に転籍。第37号哨戒艇と改称
昭和17年1月23日、マカッサル海峡で米水上部隊と交戦(バリクパパン海戦)、大破放棄
昭和17年4月10日、除籍
蓮 Hasu
大正11年7月31日、川崎造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和20年10月25日、除籍、戦後解体。船体は福井県四箇浦港の防波堤として利用
菫 Sumire
大正12年3月31日、石川島造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年2月1日、除籍、戦後解体
蓬 Yomogi
大正11年8月19日、石川島造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年4月1日、哨戒艇に転籍。第38号哨戒艇と改称
昭和19年11月25日、バシー海峡で米潜<アトゥール>の雷撃を受け沈没
昭和20年3月10日、除籍
蕨 Warabi
大正10年12月19日、藤永田造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和2年8月24日、軽巡洋艦<神通>と衝突、沈没(美保ヶ関事件)
昭和2年9月15日、除籍
蓼 Tade
大正11年7月31日、藤永田造船所にて竣工、二等駆逐艦に類別
昭和15年4月1日、哨戒艇に転籍。第39号哨戒艇と改称
昭和18年4月23日、台湾沖で米潜<シーウルフ>の雷撃を受け沈没
昭和18年7月1日、除籍