第四次軍備充実計画(昭和14年度計画)により建造された陽炎型の改良型。実質的にはほとんど同型で、甲乙丙丁で表現する時は「甲改型」とは呼ばず「甲型」と、陽炎型と同じとして扱う。

 まず、陽炎型で唯一の不満とされた速度対策として、船体を50センチ延長、スクリューを再設計するなどし、0.5ノットの向上に成功している。
 また、陽炎型の主砲が平射砲のC型であるのに対し、夕雲型は兼用砲のD型とし、測距儀も高角用とされたが、射撃速度が遅く、仰角をかけたまま装填が出来ない等の欠点があり、有効な対空射撃はできなかった。

 外見的な相違点としては、艦橋の形状が僅かに傾斜した流線型ぐらいで、ほとんど相違はなく、<秋雲>のように、どっちに入るか判らない艦も出ている。(ここでは<秋雲>は陽炎型として扱っている)

 充実した航海性・水雷能力に比べ、対空・対潜能力があまりにも貧弱で、太平洋戦争では苦戦を強いられつつも日本水雷戦隊の主力として常に最前線にあり、唯一、昭和20年まで生き残った強運艦<朝霜>も4月7日、<大和>の護衛として出撃した菊水一号作戦(沖縄特攻)で沈没し、建造された19隻全艦が失われている。

 なお、本艦はかなり混乱があるようで、<秋雲>は極端な例だとしても、計画数も昭和14年度11隻、昭和16年度16隻で建造中止8隻とする説と、昭和14年度14隻、昭和16年度16隻で建造中止11隻とする説があったりと、開戦前後のゴタゴタと敗戦前後のゴタゴタで訳が判らない事態になっている。


夕雲の戦い:駆逐艦の本分  〜高波〜

 昭和17年11月30日のルンガ沖夜戦は接岸して物資揚陸の為に低速に落している状態で優勢な重巡艦隊に頭を押さえられ、全滅しても不思議でなかった状況にありながら、駆逐艦1隻の損失で重巡1隻を撃沈、3隻を大破(2隻は再起不能)に追いやるという大勝利を納めた。
 この戦いで警戒の為に先行していた<高波>は逸早く米艦隊を発見、艦隊に通報すると共に砲雷撃を開始、単艦で大艦隊に挑み、日本艦隊が揚陸を中止して戦闘体勢を取るのに必要な時間を稼ぎ、さらに重巡<ミネアポリス>を大破・炎上させ視認を容易するという、艦隊の命運を決した大戦果を挙げた。
 しかし、<高波>も重巡3、軽巡1、駆逐艦2の集中砲撃を受けて沈没。生存者は33名にすぎなかった。
 「敵と刺し違える」駆逐艦の本分を<綾波><夕立>と並び具現した艦であるといえよう。

甲型(夕雲)要目(新造時)

 名  称   甲型(夕雲型)
 ネームシップ  夕雲
 建造時期  昭和16年12月5日〜昭和19年5月15日
 建 造 数 19隻(20隻説あり)
 基準排水量  2077トン
 全  長   119mm
 水 線 幅   10.8m
 吃  水   3.8m
 主  機   艦本式ギヤードタービン2基
 推 進 軸 2軸
 主  缶   ロ号艦本式水管缶(重油専燃) 3基
 出  力   52000馬力
  計画速力  35.0ノット(計画値)
 航 続 力 18ノットで5000浬(計画値)
 燃料搭載量  重油600トン
 乗  員   225名
 兵  装   12.7センチ50口径連装砲 3基
 25ミリ連装機銃 2基
 61センチ4連装魚雷発射管 2基(次発装填装置付)

夕雲型の航跡

夕雲 Yugumo
昭和16年9月27日、舞鶴工廠にて竣工。
昭和18年10月6日、第二次ベララベラ海戦で米艦隊と水上戦により沈没
昭和18年12月1日、除籍
ミッドウェイ、南太平洋、キスカ島撤収作戦等に参加

巻雲(2) Makigumo
昭和17年3月14日、藤永田造船所にて竣工。
昭和18年2月1日、第一次ガ島撤収作戦中に触雷・沈没。
昭和18年3月1日、除籍
ミッドウェイ、南太平洋海戦等に参加

風雲 Kazagumo
昭和17年3月28日、浦賀船渠にて竣工。
昭和19年6月8日、ダバオ港外で米潜<ヘイク>の雷撃をうけ沈没。
昭和19年7月10日、除籍
ミッドウェイ、南太平洋海戦等に参加

長波 Naganami
昭和17年6月30日、藤永田造船所にて竣工。
昭和19年11月11日、オルモック湾で米軍機の空襲をうけ沈没
昭和20年1月10日、除籍
南太平洋海戦、ルンガ沖夜戦、レイテ沖海戦などに参加

巻波 Makinami
昭和17年8月18日、舞鶴工廠にて竣工
昭和18年11月25日、ブカ輸送作戦中に米軍機の空襲をうけ沈没
昭和19年3月10日、除籍
南太平洋海戦、ルンガ沖夜戦などに参加

高波 Takanami
昭和17年8月31日、浦賀船渠にて竣工。
昭和17年11月30日、ルンガ沖夜戦で米艦隊と交戦・沈没
昭和17年12月24日、除籍
南太平洋海戦、ルンガ沖夜戦などに参加

大波 Onami
昭和17年12月29日、藤永田造船所にて竣工。
昭和18年11月25日、ブーゲンビル島沖で米艦隊と交戦・沈没
昭和19年2月1日、除籍
ガ島撤収作戦などに参加

清波 Kiyonami
昭和18年1月25日、浦賀船渠にて竣工。
昭和18年7月20日、ベララベラ島沖で米軍機の空襲を受け沈没
昭和18年10月15日、除籍
トラック・ソロモン方面への船団護衛・輸送作戦に参加

玉波 Tamanami
昭和18年4月20日、藤永田造船所にて竣工。
昭和19年7月7日、マニラ沖で米潜<ミンゴー>の雷撃を受け沈没
昭和19年9月10日、除籍
マリアナ沖海戦等に参加

涼波 Suzunami
昭和18年7月31日、藤永田造船所にて竣工。
昭和18年11月11日、第二次ラバウル大空襲で米軍機の空襲を受け沈没
昭和19年1月5日、除籍
トラック・ソロモン方面への船団護衛・輸送作戦に参加

藤波 Fujinami
昭和18年7月31日、舞鶴工廠にて竣工。
昭和19年10月27日、レイテ沖海戦で米艦載機の空襲を受け沈没
昭和19年12月10日、除籍
マリアナ沖海戦等に参加