とらいあんぐるハート2
 とらいあんぐるハート2

  ジャニス/アイボリー    定価:8800円  発売:99年7月

 ジャニス/アイボリーの恋愛アドベンチャーゲーム。

 親戚が管理人/オーナーを勤める「さざなみ女子寮」の管理人代理のアルバイトを引きうけた主人公と女子寮の個性的な住人達のらぶらぶなストーリー。

 ゲームシステムはマップ上に女の子の居る位置が表示されるので、それを選んで移動、女の子と会話して関係を深めていき、時折イベントが起きたり、2〜4択の選択肢が出てくるオーソドックスな恋愛アドベンチャーもの。
 製作中にSLGっぽいのを目指した時期があったのか、掃除、雑用、料理といった管理人パラメータがあって住人の依頼をこなす、なんて部分があるのですが、ストーリーにほとんど影響を与えない(下手すると全く与えてないかも)、盲腸になってしまっています。

 ゲーム期間は1年(キャラにより若干の差異あり)、だいたい週一ぐらいの間隔でマップ移動が発生し、だいたい2〜3人のキャラと会話していきます。
 ちょっとボリューム多い目なのですが、会話が楽しいのと、目的の娘以外はスキップして早回しで進める事もできるので、ダラダラと続くという印象は受けませんでした。

 キャラクターの約半分が猫又とか霊剣とか超能力者とか小学生とか赤飯前とかとんでもない設定で、ストーリーもそれに応じたものなのですが、根っこの部分が普通のラブコメ要素を押さえているので、そんなに特殊な話に感じないのが不思議なところです。

 CGは綺麗で癖も無く、音楽もOP曲以外は印象は薄い目ですが、変な自己主張もないので「BGM」として全く問題は無く、全体的に巧くまとまった作品に仕上がっています。

 萌えキャラは・・陣内美緒。先々代の管理人の義娘で猫又。身長118センチ、体重27kg・・・年齢は・・・・10歳。うぅぅ、最年少記録を3年も更新してしまったよ。しかも、いままでの記録は「ファーストKISS物語」の織倉真奈美(13歳)だったからHナシだったけど今回はパワーアップ中とはいえHあり・・・・ああ、俺ってば駄目人間、うんたーめんしゅ。
 16歳とか14歳とかの子とHするとほとんどの都道府県で条例違反になります。が、あくまでも条例違反。そら、お金払ったとか、自分が教師とか自衛官、警官とか大騒ぎになりやすい職業だったり、次の選挙に出るつもりとかなら話は別ですが、そうでないなら、まあ、別に問題にはならないでしょう。
 が、13歳未満だと・・・合意があろうがなかろうが婦女暴行。だいたいの場合、傷害も加算されて立派な「凶悪犯罪者」。下手すりゃ10年近くは塀の中・・・
 本作のパターンも現実だったら、「こーすけは悪くない。あたしが御願いしたのだ。」「あの時、あたしは大人だった。」等と弁護すればするほど事態は悪化して・・・

 被告人・槙原耕介はさざなみ女子寮の管理人として寮の住人・陣内美緒を護るべき立場でありながら、親元を離れて独りで暮らす被害者の寂しさに付けこんで甘言を弄し、被害者が性交渉が何たるかを理解しえない事を良いことに被害者を誘導し性交渉に及んだ。
 己の欲望の為に未熟な被害者の純粋な思慕の念を踏みにじった卑劣な行為は決して許される事ではない。よって被告人・槙原耕介を婦女暴行、傷害の罪により懲役8年に処す。

 ぐらいにはなるだろうなぁ・・

発見!日本海軍

 人名ではないのですが、女子寮の名前から「さざなみ」。日本海軍の<漣>は2隻。

 初代は日本最初の駆逐艦である雷型の4番艦(竣工順だと8番目)として明治32年にイギリスのヤーロー社で竣工。日露戦争では水雷戦隊の主力(というか、当時、駆逐艦は新兵器であり、旧式駆逐艦などというものは無かった)として旅順港襲撃などに参加。日本海海戦にも参加しロシア駆逐艦<ヘドウィ>を発見、これを拿捕し、ロシア軍の総司令官であったロシア第二太平洋艦隊司令長官ロジェストウェンスキー提督を捕虜とする大戦果を上げました。
 これについて、ちょっと面白い話があります。ことのき、<漣>は<陽炎>と艦隊を組んでいたのですが、<漣>は第一艦隊、<陽炎>は第二艦隊で共同行動をとるはずはない組み合わせだったのですが、2隻とも追撃中に本隊からはぐれ、おまけに艦の調子まで悪くなってきたので、とりあえず修理寄港したウルサン港で出会い、行動を共にしていたのです。
 敵・味方の両方から大きく離れてしまった2隻はとりあえず日本海を北上、ロシア艦隊の索敵を開始します。幸運な事に<漣>には日本に2個しかないという驚異的倍率を誇るのカール・ツァイスの最新型プリズム双眼鏡が積んでありました。
 もちろん、艦の装備である筈はなく、塚本克熊という一中尉が私物として持ちこんでいたのです。塚本中尉は乗り組んでいた<海門>が沈没した後、<三笠>に収容されていた事があり、その時に東郷長官のもつ「日本で1個しかない双眼鏡」を見せてもらい、自分も欲しくなって注文したのでした。
 価格は中尉の給料の1年分以上の350円。なんだか駄目人間な買い物ですが、これが出撃前に<漣>に転属となっていた塚本中尉の手に届き、日本海軍の歴史的勝利に「敵主将捕獲」という大輪の花を添えたのでした。
 その後は大正2年4月1日に除籍、雑役船<漣丸>となり、大正5年に廃船・売却となりました。

 二代目<漣>は吹雪型19番艦。昭和12年竣工。日華事変では第二艦隊に属して杭州湾やバイアス湾の上陸作戦に参加、昭和16年からは仏印作戦に従事しました。
 太平洋戦争では開戦劈頭のミッドウェイ砲撃に参加。このミッドウェイ砲撃は真珠湾攻撃に呼応して<漣>と<潮>それに油槽艦<尻矢>がミッドウェイまで進出してこれを砲撃するという大胆な作戦で、成功裏に終わったのですが機動部隊の華やかさにかき消されてしまったのか、ほとんど知られていません。
 その後、蘭印攻略、珊瑚海海戦(MO攻略部隊)、アリューシャン作戦(ミッドウェイ作戦の陽動)、ソロモン戦や各種輸送作戦などに参加。昭和19年1月14日、パラオ沖で米潜<アルバコア>の雷撃を受けて沈没。


初代<漣>。ひらがなで小さい艦名表記がミソ(日露戦争前)