ふたたび父危篤/逝去。

3月3日は、3がつくので「みんみんの日」でみんみんのギョーザが半額だった。マーボ丼とギョーザを食べて、三ツ寺会館に向かって用事を済ませて、ちょっと飲んでたら、母からメールがあった。父の容体がよろしくないとのことだ。終電は終わった時間である。タクシーで駆けつけるべきか母と電話で打ち合わせしたところ、いますぐどうのではないようなので朝イチで行こうかということになった。飲むのは切り上げて、自宅に戻る。ベルランド病院は実家からの交通の便が悪いし堺だとタクシーは事前に予約しておかないと呼んでもいつくるかわからないので、車の運転に備える必要がある。

父は若いころから大病を患い、人工透析34年、人生の大半を病院通いで過ごしてきた。高齢だし、去年から衰えも目立ち、入院しっぱなし、先月入院先の病院からベルランド病院に緊急搬送されて手術を受けて、そのままチューブにつながってICUにいた。栄養をチューブで胃に送り始めたら長くないのでそろそろかもなとは関係者みんなが薄々思っていた。術後の経過じたいは快方に向かっているように見えたときいていたので少々急ではあった。

寝付けないなーとネットをいじっていると、母より電話。朝の4時過ぎだった。病院から心臓がたびたび止まりはじめたのですぐ来てくれと言われたという。すぐに出ることができる準備はしていた。長くなりそうなので湯沸かしポットの線を抜いてノートパソコンを持ってタクシーに飛び乗る。自宅の前は四ツ橋筋なのでマンションから出てすぐタクシーが捕まった。高速で飛ばせばこの時間帯なら実家まで30分かからないかな。母はタクシーは呼んでもすぐ来ないから、私の到着を待つという。運転手さんにぶっとばしてもらって、実家の前で母を拾い、そのままベルランド病院へ。妹にメールを打つ。

母:「本人の意志で延命措置とかは全部断ってるねん」 私:「駆けつけてる最中くらいは延命してくれてもいいんちゃうかな」 母:「あ。」

ベルランド病院到着、ICUに直接向かう。病室は廊下の突き当りだ。ドアは開いていた。前回きたときは機械に囲まれてチューブにつながり苦しそうにもぞもぞしていたが、今回は遠目からして安らかな感じだった。あー。我々と同時に医者と看護師さん数人が病室に入ってきた。

私:「高速ぶっとばしてきましたが間に合いましたか!」 医:「さきほどまで心臓も動いていたのですが・・・」 私:「あー間に合いませんでしたか。」 母:「あー。」

父はまだ暖かかったが、既に機械や管が撤去されていたので5分10分の差ではなかったっぽい。後のほうの電話があったころにはもうだめだったのかな。

医者から説明があり、再度死亡確認はなされ、その時間が死亡時間とされた。死亡診断書上は我々の到着は間に合っていたことになる。母が礼を言い、私が「で、この後の対応はどうしましょうか」と切り出すと、別室に案内され看護師さんから説明があった。湯灌とか遺体の清掃は病院でするか葬儀業者がするか、現在の着衣は病院のものなので何を着て帰るか(白衣かパジャマか)、荷物はいま持って帰るものと病院で処分してもらうものを決める、連れて帰る葬儀社を決めて呼ぶ。父は葬儀会社のベルコの会員になっているそうなので、ベルコにしてもらうことにする。着るものはパジャマでいいかな。その他、体液が出る可能性があること、(おそらくは輸血で)C型肝炎になっているので血液を素手で触らないこと、などの説明があった。

初めてのことでもなし、ささっと説明は終わり、葬儀会社に連絡をとる。予測された事態なので母が葬儀会社の名刺を持ってきていた。7時半ごろに来るという。2時間後か。他にもいろいろ決めておかなきゃいけないことがあるな。妹からメールきていたので電話する。私:「タクシーぶっ飛ばしてきたけど間に合わない感じでした」妹:「・・・キリスト教式にするの?」私:「それもこれから決めることやわ」。

実家も母の実家も浄土真宗で、家族で父だけがクリスチャンだった。
結核の隔離病院に入っていた時に、気弱になって洗礼を受けたと言っていた。自分の信仰については少々疑問があるような言い方だった。

まぁ、本人に決めさせたら真面目な父は困るだろうからその話はせず、仏教式でやっちゃおうかという空気にはなっていた。私:「キリスト教式かどうか今きめないとあかんのちゃうかな」母:「仏教式でいいやろ。キリスト教とか昔の話で教会とか行ってもないし。本人は誰にも言うな、葬式もいらんってゆうてたくらいやけど」。まぁベルコの会員になってたってことは、葬式いらんはさすがに現実的ではないと思っていたのだろう。祖父の葬儀は大々的にやってなかなかたいへんだったので次からは近親者だけで家族葬にしようと、そろそろ順番が回ってきそうな親戚のジジババと話をしていたのは聞こえていた。

準備ができたのでお別れをしてくださいと控室からICUに戻される。重病人服からパジャマに着替えると寝心地が良さげな感じになるな。葬儀会社が来るまでまだ間がある。ガラケーで検索する。友引か。よろしくない感じだな。神奈川県の妹家族が来るスケジュールとかも関係するよな。そのへんは葬儀会社が来てからか。母は布団と食べるものの心配をしている。もっと考えるべきことはいろいろありそうな気がするけど、だいたい葬儀会社の指示に従うことになるだろう。

7時30分、葬儀会社到着。とりあえず家に運ぶことになる。えっと、生きてる人間は運んでくれるのかときくと、1人だけ霊柩車に乗れるという。

私はタクシーを呼んで自宅へ。父母の乗った霊柩車のほうが早く、私が着いた頃には父を布団の上に寝かせるところだった。まだうっすらあたたかい。チューブのつながっていた右手から汁が出ているな。あ、耳からも出ている。長い闘病生活で皮膚が弱っているとはきいていた。

日程は、最短翌々日に通夜、告別式はその次の日。火葬場の空きの都合とのことである。土曜日の早朝に亡くなり、2日家にいて月曜日に通夜、火曜日に告別式となる。祖父の時は即日通夜だったが人の亡くなりやすい季節もあるそうだ。そういえばムッシュかまやつも亡くなってたな。

そのあと葬儀会社が決めろというのは、エンバーミングするかどうか。湯灌(税別5万円)はしてもらうとして、エンバーミングすると湯灌代プラス税別15万円になるとのこと。本人はミニマムな葬儀を望んでいるし、そもそもエンバーミングって祖父の時はなかったし何だか知らないし、これ以上切られたり注射されたりするのも可哀そうだと思って渋ったのだが、葬儀会社の人が勝手にエンバーミング処理の空きを調整しはじめている。どうやら事実上、選択権はないようだ。

なんやかんや話をしているうち、チューブを突っ込まれていた鼻とか口の端とかから血も滲んできて、本人は澄ました顔をしているがだんだんハロウィンの仮装みたいになってきていた。葬儀屋は湯灌できれいになるけど4日あるからまた滲んできたりするという。うまいこというなぁ。C型肝炎の話もあったので、やってもらうか。このとき土曜日の朝8時ごろ、昼過ぎに引き取りの霊柩車がきて処理して、翌日の昼過ぎに帰ってきて、そのときに葬儀の相談、夕方から枕経、という段取りになる。

棺に入れる身の回りのもの、遺影の写真、あと供え物に故人の好きだった食べ物や飲み物を用意いただきたいとのこと。好きな食べ物はうどん、好きな飲み物はリポビタンDだな。

葬儀社の人たちが帰ったあと、各所に連絡である。母が父の友人に連絡するのを渋るが、私は小学生の頃からの幼馴染に言わないのは違うと思うので電話してもらった。近所の人たちが弔問にきはじめる。拡散しないようにお願いはしてるけど、そりゃ聞いた本人は町内だから来るよなぁ。友人に言うなという遺言はこういう意味か。親戚なら放っておくのも手伝わせるのもできるが、故人の友人はそうはいかないし、年寄りは話が長いな。そもそもうちの母の話が長い。父が入院してから1年くらい家に1人っきりにしてたから会話に飢えていたのかなぁ。

父が霊柩車で処理に出たあとにゴハンに行こうかと思ってたら、葬儀会社が遅れるという。それはおなかがへるので、食材はあると料理上手な母がホットドッグを作る。

父を送り出したあとは、ひと段落ついたので、ひとまず仮眠をとることにする。その前にのどがかわいた。こういう事態ではあるが、気が張ったときのビールは美味いなぁ。

午後から父はいないことは周知しているので午後の弔問客はなかったが、こういうときは夢もみるし、熟睡はしたがそう長時間は眠れない。寝て起きてきたら、母も起きていた。葬儀用にいるものの用意については特に手伝えることもないので、自宅のネット環境の整備でもする。10年ほど実家を出ているうちにネット機器が老朽化し、接続が不安定になっていた。妹家族がきたときにWi-Fiが不安定だと不便だろうし、居間に有線LANがあったほうが便利だろうと思ってLAN工事をして無線LAN親機をAmazonお急ぎ便で注文した。

しばらく実家を離れているうちに、ひとり鍋セットが増えていた。私と違って節制ができるプロ病人である父が大鍋だと食べた量がわからないとセパレートを希望したという。私は食った量とかカロリーとか気にしないから大鍋でいいんだけども。

食後は遺影のチョイス作業に入る。父が「これを遺影にしてくれ」と言っていたらしき写真を、母が発掘してきた。日付は87年とある。30年ほど前である。大病を患い人工透析を始めて4年めくらいだ。そのあと30年も生きるとは思っておらず半分本気で半分ジョークだったであろうが、その後アップデートされていない故人の言葉であるので真に受けることにする。この帽子、今回入院するときに持ってきていたぞ。父は祖父や私と違って持ち物の少ないミニマリストであるが、物持ちが良い。物持ちがいいのは和田家全員でもある。

比較的最近のはこれかな。2年くらい前か。もっと新しいギリギリ元気だったときの写真もあったのだが、それはフォトスタンドから剥がしてエンバーミング用に葬儀会社に渡した。

父は多趣味な人物であった。釣具店を経営するほど釣りが好き、ウクレレを弾くし囲碁を打つし、川柳や手話を習っていた。そういえば釣具の遺品は何もなかったな。実家を建て替えたときにもう釣りをすることはないだろうと処分したのだろう。歳時記も探したけど見つからなかった。

翌日の午後に葬儀会社が父を連れて帰ってくるまで新しい動きはない。ビールでもかっくらって寝ることにする。

父が亡くなったのが早朝だったので、長い1日でありました。

続く

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