葬儀の予算/枕経/父の写真。

前回「ふたたび父危篤/逝去。」の続き。

家族が死んだ翌日が忙しいものであろうということは想像に難くない。疲れたのもあったけど、夜は早く寝てさわやかに起きた。14時に葬儀会社が葬儀の具体的な打ち合わせに来て、14時半にエンバーミング処理の済んだ父が帰ってきて、その頃に妹家族が帰ってきて、16時より「おじゅっさん(お寺の住職のこと)」がきて枕経なるものを執り行うというタイムスケジュールになっている。それまでに、葬儀会社に渡すいろいろなものを準備して、幼児乳児を含む妹家族4人を受け入れる準備をする。

和田家の朝食は、パン食である。最近はだいたいハムエッグに生野菜にチーズとヨーグルトがついているようだ。昔は母も働いていたし弁当を作ったりしていたので菓子パンとかだったかな。私は一生分のパンはもう食べた気がして、一人暮らしをしはじめてからはほぼパンを食べていなかった。

実家の一階の半分は私のオフィスというか作業場というか物置になっていて、両親はことあるごとに孫の遊び場所に使おうとする。まぁ、家の中でいちばん広いスペースを占めていて重要性の高いことをしていない部屋ではある。今回は、甥っ子が親類のお下がりの「アンパンマン号」を楽しみにしているとのことで、母の命令により、レールを敷設した。電気回路を作る工房なので子供が触ったら危ない刃物だらけなんだけど「目を離さなければいい」とのことだ。見張りも仕事だな。

昼は、和田家の焼き飯。玉ねぎと残り物の色々なものが入っている。昔はポールウィンナーかチクワが入っていて、創味シャンタンではなくウスターソースで味付けされていた。食べていたら、ピンポーン。インターホンのカメラをみたら葬儀屋のオバチャンである。はやっ。母にゆっくり食えと言い、生まれつき口のでかい私はかっこんで相手をしにいく。

早く来た理由はわかっている。母の話が長いからだ。バ:「あ、お食事中でしたか?」 私:「もぐもぐ(やっぱりわかるか)」 。本体が届く前にセッティングをして打ち合わせをすると言っていた。中に案内すると、母が口をもぐもぐさせながら現れた。バ:「あ、お食事中すいません!おふたりともお口もぐもぐ!」。和田家の母子は食べ物は口に入れた時点で食べ終わったとみなす性格をしているようだ。父と妹だったら食事を中断して飲みこんでから来客の対応をしたことであろう。

追って父が帰ってきた。衣装は「白装束」である。私が「お化けルック」と呼んだら訂正された。スーツで正装を勧められたんだけど、寝苦しそうだし、だからといってフォーマルな場でジャージやパジャマは違うな、ということでこれになった。最終的に布団で見えなくなるのでジャージでも良かったかなと後になったら思った。ちなみにジャージもパジャマも三つ揃いのスーツもお棺には入れた。
エンバーミングのオーダーは「ナチュラルで!」にしたら、ナチュラルな感じで帰ってきた。男前にしてくれと言ったらどうなって帰ってきていたんだろうな。

そのあとは、「葬儀のグレード」を決める打ち合わせが入る。前回の祖父のときはゴージャスな葬儀を出したので葬儀会社も期待の案件だったであろうが、今回のコンセプトは「低負担」である。今後に続くジジババの葬儀のための知見も得なければならない。老夫婦2人暮らしが何組もあるので、残った片方で葬儀を出す未来が近くに見えている。

「おじゅっさん」は1人、故人の友人知人など親戚以外は呼ばず、親戚以外からの香典も受け取らない。管理のための体力負担の軽減のためである。同年代の親類は仕事や子育てで忙しいしジジババは歩くのもままならないお年で戦力外なので母と私と葬儀会社だけで回さないといけない。食事とかもあらかじめ出席をとって予約制にする。グレードは並でいいかな。母が告別式のほうの食事は最後に残ってくれる人たち向けだからグレードを上げるという。結果としては、告別式の食事は火葬場の関係でスケジュールがタイトなため、品数が増えても食べるのが遅いジジババたちは食べきれない感じだったし、普通くらいで良かったかなと思った。

手土産みたいやなつは、邪魔にならない消耗品(茶とタオルにした)、祭壇は祖父の時より質素にして中くらい。祭壇を飾る花がミニマムセットで税別24万円。24人くらいしか呼ばないのに1人1万円は見栄の張りすぎではないかと思うのだが、葬儀会社のオッサンが「花は死者の飲み物です」と嫌なことを言う。故人は人工透析で水分制限されて常に乾いていたので少々気に障ったが、24万円払うことにした。遺影は3万8千円、選択肢なし。私が打ち合わせ中に「ミニマムで」という言葉を100回くらい言ったけど、なんやかんやで葬儀会社に支払うぶんだけで見積もり百何十万円。まぁ祖父の時に比べたらずいぶん控えめな金額にはなった。最終の請求書ではもうちょっと増えているだろう。

お寺は前回25万円。車代とか初七日のぶんとかを含んでいる。葬儀会社はお寺にきけと言っていた。あとで聞いたら「多い金額は20万円ですが少なくても」とのことだったが、葬儀が終わったあと減額する理由もないなと前回額を踏襲した。何か不満があったら20万円にしていたかも。

葬儀会社は「お経を短くしても安くならない」という言葉を使うのだが、お経なんざ短いほうが良いではないか。ジジババは腰が痛いし、子供は飽きる。というか元気な大人も短いほうが楽である。そのぶん故人を偲ぶ雑談やたまにしか会わない親族間の親睦の時間に充てたほうが有意義だ。と、葬儀会社のオッサンに熱弁をふるったが、「それは(住職に)よういいまへんわ」とのことだった。

その後、セットプランに入っている演出のための故人のエピソードのインタビューがあった。葬儀会社のオバチャンが聞き出すのが上手なのか、母が変なテンションになっているのか、しゃべるしゃべる。お寺が来るまでしゃべり続けていた。

住職がお経を読んでいる間に、予定より遅れて妹家族が到着。小さい子供が2人いるので「てんやわんや」である。妹が抱いている6か月の姪が私をガン見してくる。妹:「めずらしいんやな」 私:「う゛お゛え゛あ゛え゛う゛あ゛!!」 姪:「・・・・。」 妹:「もう、へんなもん見せんといたって!」 姪:「・・・。・・びえっびえっびえーーん!!」 妹:「遅れて怖くなってきたんやな、よしよし、こわないでー」 私:「嘘やで、こわいでー!」 姪、ギャン泣き、4才の甥、大ウケ。住職、狼狽。住:「何か月ですか」 母:「6か月で、あ、おじゅっさんところもそろそろ」 住:「お父さんが亡くなる前日に、同じベルランド病院で生まれまして」 全:「おめでとうございます」 住:「いや、いや、こういうときに、あの」。母の興味に火がついてマシンガントークが再発した。住:「いや、もう僕の話題は、これ以上、もう、その」姪は泣き叫び、甥は走り回る。ほったらかしにされている故人の顔は、笑いをこらえているように見えた。

住職が帰り、ひと段落。夕食は1台の車で全員移動するには定員オーバーだ。私の葬儀用のワイシャツが見つからないので買おうかというのと姪の粉ミルクを買いに行くついでがあったので、西友で弁当や総菜を買うことにする。

私のワイシャツのサイズは測ってもらって、首38センチの丈が82センチ。隣がおもちゃ売り場だったので難易度の低いプラモデルでもないかと覗いたら、いいものを見つけた。工具のおもちゃである。

危ない刃物系の工具を壁面収納してるところにアンパンマン号があるので、工具のほうに興味をもったりしたらダメといわずこれを渡そうと、工具の場所に並べて吊るしておいた。

弁当を食べて、甥っ子が退屈し始めたのでアンパンマン号を使う。工具はさわったらあかんでーと教える。甥:「あ、おもちゃ!!」 一瞬で発見された。本物とおもちゃの違いはわかるようだ。私:「よし、君にはこれをあげよう。本物は触ったらあかんで」 甥:「うん!これどうやって遊ぶの??」 私:「それは自分で考えるんや!」 甥:「なんだかこれ好きそうだなー!」 気に入ってくれたようだ。

葬儀屋のオバチャンが写真を15枚用意しろというので、アルバムをあさる。祖父がカメラ好きだったので、父は写真持ちである。

戦前生まれだけど1才の写真からある。絵とポエムがついているが、完全に祖父のセンスだし、祖父の字だ。

登美丘高校のピンポン部だった。長距離走も学年で早いほうだったらしい。

私と違って机周りは昔から几帳面に整理するタイプだったようだ。高校3年生とある。

ちなみに同年齢くらいの私の机は、こんな感じだった。部屋は違うが同じ家である。

このへんの写真だけえらくセンスが違うな。これ撮った人、写真家とかになっているんじゃないかな。昭和感がすごいが、当時としては最先端だったのではなかろうか。

日活映画っぽいな。

演劇だな。なんか重要っぽい役をやっているぞ。なんか悪そうだなと妹。

あ、悔い改めてるわ。何か悪いことをしていたようだ。クリスチャンになりたてくらいのやつだろうな。

このビーチチェアは、私が幼稚園の頃くらいまであった。

こんくらいあればいいかな。いちばん上のやつは、百舌鳥八幡宮の「ふとん太鼓」に乗った時のやつだと思う。

私も乗った。母に化粧をさている。髪型は丸刈りである。

故人はほったらかしで子供の相手ばかりしてたような気もするが、故人もそれを望んでいただろう。

翌日は通夜である。ビールを飲んで寝る。

続く

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