艦名考 外国語名の日本艦(1) 



 最近、横文字の日本船が増えています。パナマ置籍船とかはともかく、日本籍船まで横文字(ひらがなが多い)なのはナニです。
 が、実は日本海軍にも外国語の名前が付いた艦がありました。今回はそんな艦についてお話したいと思います。

 まず、最も目につくのが中国語または中国語を語源とする艦名です。日本語自体が中国語の影響をモロに受けた言語なので、地名なんかは中国語起源のものがやたらと多いし、空母や潜水母艦の名前(成語)も中国語起源と取れないことはないのですが、その辺を入れだすときりが無いので、今回はそれらは除外します。


 まず、第一グループとして中国の故事成語や文章から取られた名前の艦名があります。このグループは江戸時代末期に各藩や幕府が建造して新政府に奉納/拿捕された艦や海軍がごく初期に建造した艦に多く見られます。

 主な所を挙げると、<朝陽>。幕府が建造したスクーナーで、新政府に献納され日本最初の軍艦となりましたが、榎本艦隊との交戦で沈没し、日本海軍最初の戦没艦となった艦です。艦名の意味は「朝日」。

 <日進>。この艦名は3代存在しました。初代は佐賀藩(鍋島藩)のオランダ製の三檣バーグ船で台湾征討などに活躍しました。
 二代目はイタリア製装甲巡洋艦。アルゼンチン向けとして建造されましたが、対ロシア情勢が風雲急を告げた為に日本が急遽購入した艦で、開戦直前に日本に到着し日露戦争で活躍しました。日本海海戦では高野五十六少尉候補生(後の山本五十六元帥)が乗り組んでいた事でも知られています。
 三代目は昭和期の水上機母艦。当初は敷設艦として計画されていましたが、途中で水上機母艦(実際は甲標的母艦)に変更されました。
 艦名の意味は「進歩進達」。「日進月歩」という言葉は現在でも使用されています。なお、三代目は「日本が進む」と和成語的な意味が強いとも言われています。

 この他では長州藩の<第一丁卯><第二丁卯>(丁卯の年−1867年−に建造)や最初に太平洋を横断した事で知られる<咸臨(丸)>(易の六四掛から。陰陽の交感、進んで物に迫る様をいい、上を慕い下を慈しむ)、江華島事件を起こした<雲揚>(雲の揚がるさま、上昇の気運)などがあります。


 中国語第二グループは日清戦争の拿捕艦。日本海軍はこの戦争の拿捕艦の艦名をそのままで(読みは日本語読みにして)使っていました。

 筆頭は<鎮遠>。姉妹艦<定遠>と共にアジア海域で最強の艦でしたが、黄海海戦では高速と速射砲を活用した日本軍の機動戦術の前に敗れ(というか、当時の日本に大型の戦艦を建造する余裕はなかったので機動戦術の他にとりようがなかった)、その後、日本軍に拿捕され日本艦となりました。艦名は「遠方(外国?)を鎮める」。「x遠」は清国の北洋水師(艦隊)の標準ネーミングというべきもので、他に北洋水師の艦で日本に拿捕されたものは巡洋艦<済遠>(遠方を救い整える)、砲艦<平遠>(遠方を平定する)、<鎮東><鎮西><鎮南><鎮北><鎮中><鎮辺>(それぞれ方位を鎮める)があります。また、砲艦<操江>はネーミングルール違反ですが、語源は不明です。

 日本軍と直接交戦したのは北洋水師でしたが、他の水師からの増援にかけつけ、日本軍に拿捕された艦もあります。
 広東水師所属の国産巡洋艦(水雷砲艦)<広丙>。有力艦でしたが、日本籍に編入直後に事故で座礁・沈没しました。艦名には特に意味は無く、「広東水師の丙号」程度の意味でした。
 福建水師所属のドイツ製水雷艇<福竜>。黄海海戦では樺山軍令部総長の座乗する特設巡洋艦<西京丸>に40mまで肉薄しますが、ついに長蛇を逃したことで知られています。艦名は<広丙>同様に深い意味はなく、福建水師の竜号程度の意味です。


 第三グループとして中国の地名をつけた艦があります。これはさらに4つの小グループに分けられます。

 最初の小グループは日露戦争で捕獲したロシア汽船。この頃の捕獲艦は<アンガラ>を<姉川>とするなど、原名を意識した名前が付けられることがあり、いくつか満州方面の名が艦があります。
 ロシア汽船<マンチュリア>は<満州>。内装が豪華だったので通報艦に分類され、供奉艦や高官の移動用として使用されました。満州は当然、中国北東部の地名です。
 前述の<マンチュリア>とは別にもう1隻、捕獲したロシア汽船に<マンチュリア>がいました。この艦は工作艦<関東>として長く使用されました。関東は日本の関東地方ではなく、満州の関東州の事です。
 ロシア汽船<スンガリー>。この艦は運送艦<松江>となりました。松江も日本の松江市ではなく、満州を流れる大河、松花江のことで、スンガリーはそのロシア名です。

 次の小グループは第一次世界大戦で青島攻略戦で拿捕したドイツ船に青島やその周辺の名前を付けた艦です。
 ドイツ商船<デュレンダルト>は<青島>、<エレン・リックマーズ>は<労山>(青島の隣にある港湾都市)、<ミハエル・イェプセン>は<膠州>(青島や労山が望む湾)が運送艦として日本籍に編入されました。なお、<膠州>は後に測量艦に転じ、北極海から南方まで広大な水域の測量に従事した功労艦となりました。

 もう一つの小グループとは当時、日本領だった台湾の地名をつけた艦です。
 <測天>。二代あり、二代とも敷設艇のネームシップで駆逐艦<神風>と並び人を混乱させるヤラシイ艦です。その他、測天型の敷設艇として<膨湖>、日振型海防艦として<目斗>があります。いずれも膨湖諸島にある島名です。

 最後の小グループは厳密には中国語ではなく日本語なのですが、日本の版図に編入した際に日本人が付けた地名を持つ艦です。
 明治37年竣工の防護巡洋艦<新高>。台湾の最高峰である円山の日本名で、真珠湾攻撃命令の「ニイタカヤマノボレ1208」で有名です。
 鵜来型海防艦の<新南>。中国、台湾、ベトナム、フィリピンなどがそれぞれ領有を主張する東南アジアでもっともややこしい土地のひとつ、南沙(スプラトリー)諸島の日本名です。
 最後に中国ではありませんが、日本人命名の外国地名として日振型海防艦<昭南>。シンガポールの日本名です。


[次へ][インデックスに戻る]
 御意見、御感想、御質問、御指摘、御怒りはメールまたは水交社(掲示板)でお願いします。