艦名考 外国語名の日本艦(2) 



 「日本には3種類の言語がある。すなわち、国語と外国語そしてアイヌ語である。」

 日本海軍にはアイヌ語語源の艦が何隻かあります。もちろん、日本海軍が日本帝国を構成するアイヌ民族に敬意を表して、という筈はなく北海道や樺太の地名がアイヌ語語源というだけの話ですが・・・

 アイヌ語も日本語であって外国語ではないのですが、『日本国の文部省が標準語として定めている言語』とは異なるものなので、ここで取り上げることにしました。
 ついでにアイヌ民族も日本人なのですが、『日本国の文部省が標準語として定めている言語』にはアイヌ民族と『現在、日本国で多数を占めている民族』を別ける単語がないのですが、いちいち脚注をいれたり、不自然な表現を使うのはややこしいだけなので、ここでは『日本国の・・』を「日本語」、いわゆる『現在・・・』を日本人と称し、アイヌ語・アイヌ民族と区別して表現します。あらかじめご了承ください。(アイヌ語を使って「日本人」をシサム[隣の人]と表現する方法もありますが、、アイヌの人から見れば確かに私はシサムですが、私から見ればアイヌの人がシサムな訳だから、「日本人」な私が使う表現としては変な気がするので・・・)

 アイヌ語と日本語は同じウラル=アルタイ語族に属し、似た単語も多いのですが、方言というほど近くもない、微妙な関係にあります。


 運送艦(給油艦)<神威>。電気推進技術(機関の動力を直接推進力とするのではなく、発電してからその電力でモータを廻して推進する方式。現在でも潜水艦などで使用)の取得を兼ねてアメリカで建造した大型給油艦です。後に水上機母艦に転じ、再び運送艦に戻ったという、少々複雑な経歴の船です。
 由来は北海道積丹半島の岬名で語源は「カムイ」。日本語では「神」。忍者漫画や時代SF大作のタイトル、あるいは大自然のおしおき娘の技名や台詞にも使われており、ルイベやラッコのように日本語化しているアイヌ語を別にすれば、もっとも良く知られたアイヌ語のひとつだと思います。
 「神」といっても、日本の神(ただし国家神道以前の神)と同じく、火やら疫病のカムイはもちろん、熊やシマフクロウもカムイですし、鍋釜や作物にもカムイが宿っているので、西洋的な意味ではの「神」というより「精霊」に近いものがあります。アイヌにも創世神話など、「神」的な話はあったようなのですが、文字を持たず、「カムイ・ユーカラ」(神謡とか神々の物語と訳される)と呼ばれる抒情詩で口伝伝承を行なっていた為か、あまり人気のなかった創世神話や上古の話はうまく伝わらなかったようです。(例外的にアイヌに穀物や火などを伝えたギリシャのプロメテウスを彷彿させる英雄神オキクルミは人気があったようで、いろんな話があります)

 運送艦(給油艦)<能登呂>。八八艦隊計画の一環として建造された大型給油艦で、艦隊に随伴して補給を行なう任務より、アメリカや東南アジアからの石油輸送を主目的としており、速力等より経済性が重視されていました。後に水上機母艦に改造され、北支事変や上海事変で活躍しました。
 由来は樺太南端の岬名で別名を能取岬ともいいます。語源は不明ですが「ノット゜」で岬ですから、そのあたりかもしれません。(私は僅かに知っているアイヌ語は白老とか日高地方のやつですが、樺太のアイヌ語は全然違うので大外れの可能性が大いにあります。)

 運送艦(給油艦)<知床>。<能登呂>と同計画で建造された姉妹艦で、後に砲塔運送設備が追加されましたが、給兵艦に転籍にはならず、分類は給油艦のままでした。
 由来は北海道東部の知床岬。語源は「シリ・エントコ」、陸の終わるところ。最初から「地の果て」という感じで固有名詞であったとする説と、襟裳や納沙布のように単に「岬」を意味する普通名詞が転じたとする説の2種類があります。(アイヌ語には「標準語」がないので、こういう現象があっちこっちで起きます)

 運送艦(給油艦)<襟裳>。知床型の2番艦(<能登呂>から数えると3番目)。開戦早々に雷撃をくらい、座礁放置されたのですが、なぜか艦籍が抹消されず、昭和22年に艦籍簿そのものが無くなるまで残っていました。
 由来は北海道中南部の襟裳岬。語源は「エン・ルム」で突き出た頭、すなわち岬の意味で「襟裳岬」だと「岬岬」という少々間抜けな事が起きてしまっています。
 おそらく、「ここは何という場所か?」『ここは岬だ』「なるほど、『岬』という地名か」というパターンでついちゃったと思うのですが、これはアイヌ地名に限らず世界中で起きてる現象でカナダ(「小屋」)なんか国名からしてこの手の起源ですし、カンガルー(「知らない」)のように動物名にコミニケーションエラー名がついてる例もあります。

 砕氷艦<大泊>。大正期に建造された日本海軍唯一の砕氷艦。運送艦<宗谷>とコンビを組んで北洋漁業の保護と測量に活躍した功労艦です。
 由来は大泊。樺太最南端の岬名(都市名でもある)で、現在はコルサコフと呼ばれています。語源は「トマリ」、港を意味しますが、アイヌ語というより、日本人がつけた地名をアイヌの人達も使っていた「外来語」のような気もします。

 <宗谷>。二代あり、初代はロシア巡洋艦<ワリヤーグ>。仁川港で自沈していたのを浮揚して艦籍に編入したものです。後に、ロシアに返還されました。
 二代目は運送艦。運送艦としてより戦後、南極観測船として使用された事で有名です。北氷洋からラバウルまでの広大な海域を駆け回り、戦後は海上保安庁に転じ灯台補給船、南極観測船、巡視船として使用され昭和53年まで現役にあった功労艦です。現在は船の科学館に繋留保存されており、水上にある唯一の元海軍艦船となっています。
 由来は北海道最北端の宗谷岬。語源は「ソヤ」(床の岩)、「ショウヤ」(海獣の集まる磯の岳)、「ソウヤ」(蜂の巣)、「ソーヤ」(裸岩)など諸説あります。

 巡洋艦<夕張>。実験的に1隻だけ建造された超小型巡洋艦。希代の天才造船技師・平賀譲造船大佐(当時)による5500トン級巡洋艦と同等の戦闘力を2890トンの船体に収めた画期的な設計は世界を震撼させ、後の日本巡洋艦の基礎となりました。
 由来は石狩平野を流れる夕張川。語源は「ユーパロ」(温泉口)、「イパロ」(それの口。千歳地方への入り口)、「ユーバリ」(硫黄臭)など諸説あります。

 <鈴谷>。二代あり、初代はロシア巡洋艦<ノーウィック>を捕獲後、日本籍に編入したときに名づけた名前、二代目は軍縮条約で重巡が建造できなくなった為に、重巡なみの戦闘力を持たせた軽巡として建造された最上型の3番艦。この艦は建造中にいろいろあって、若干の手直しが行なわれたので最上型に含めず、鈴谷型として独立させることもあります。
 由来は鈴谷川。樺太の中部からユジーノサハリンスク(豊原)を経てコルサコフ(大泊)に至る川です。「シシヤ」ないし「シュシュヤ」が語源だそうですが、不勉強ゆえ何を意味する言葉なのかわかりません。日高のアイヌ語だと日本語で「ひゅーひゅー」って書くような風の音らしいのですが、樺太のアイヌ語って全然違うので・・・シ・シュー・ヤで「苦い丘の親」・・やっぱり意味を成さない・・

 海防艦<国後>。北洋漁業保護の為に建造された占守型海防艦。占守型は日本艦艇としては珍しい民間の設計によるものです。設計を請け負った三菱が張り切り過ぎて凝り過ぎの傾向はありますが、漁業保護艦としては優秀な艦でした。
 由来は北方領土の国後島。語源は「キナシリ」、草の島。国後島は日本人とアイヌの交易地(日本人による収奪地)で、アイヌの組織的抵抗が最後に発生した地(1789年:クナシリ・メナシの蜂起[乱])です。

 海防艦<択捉>。南方航路護衛が急務となった為、占守型を改良した択捉型海防艦のネームシップ。漁業保護艦としてはともかく、対空・対潜能力に乏しく生産性が悪いなど、戦時護衛船としては失敗だったといわれています。
 由来は北方領土の択捉島。語源は「エトオロオプ」、岬のある所という意味です。

 敷設艇<白神>。測天型(二代目)敷設艇。敷設艇は本来は機雷や防潜網を敷設する為の艦なのですが、日本海軍の場合、対潜哨戒なども可能な汎用艇として設計しており、<白神>も大湊や八戸を拠点に船団護衛などに従事しました。
 由来は松前半島の先端、北海道の最南端の白神岬。語源には「シラルカムイ」(岩の神)、「シリアッカリ」(山の向こう)、「シラルトウカリ」(岩の手前)など諸説あります。


 その他、海防艦<占守><松輪>なども千島の島名でアイヌ語地名っぽいのですが、不勉強ゆえ語源は判りませんでした。(千島アイヌ語も白老や樺太とまた違うもんで・・)
 北海道の千歳川はアイヌ語起源が影響していますが、本質的に和成語であり、さらに艦名の<千歳>は千歳川ではなく和成語から付けられているようなので、ここでは除外しました。
 また、北海道以外の地名にもアイヌ語起源と思われる地名があり、いくつかは艦名になっているのですが、それも今回は除外としました。


 最後にちょっとだけ政治的な話を・・・。<国後>の所で、1789年にアイヌの抵抗は終焉したと書いてますが、最近はアイヌの復権を目指した政治運動がいくつかあります。
 私は日本人がアイヌの土地を取り上げ、圧政を施しいていた事を認め、謝罪するのは当然だと思いますが、愛国者なもんで日本の版図を削る「アイヌ分離独立」は北方領土の領有や国内自治領を含めて『寝言は寝てから言え』(愛国云々を別にしても、日本人の敵対的反応を招くだけで絶対にいい事は無いと思うし)というスタンスですし、「補償問題」も共有地の設立や国有地の返還も含めて『言い出すとキリがない』、「国会議員のアイヌ民族枠」も『新たな差別を生みかねない』ので現在行なわれている政治運動には概して賛成できません。
 でも、日本の貴重な一文化として保全するのは大賛成で、少なくとも今の10倍はお金使ってもバチは当たらないと思います。よその国の文化財を保全するのに大金を投じる余裕があるのなら、少しでも北の豊かな大地に存在した文化の保全に廻してやれないもんなんでしょうかね・・



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