艦名考 外国語名の日本艦(3) 



 中国語、アイヌ語ときました、外国語名(非国語名)の艦艇、残りの部分いきます。

 まず、朝鮮語。樺太や千島の地名と同じく、命名時は日本領だった朝鮮半島の地名です。
 測天型敷設艇に3隻。第一部でも書きましたが、何を考えたのか「測天型」は明治末に計画された敷設特務艇と開戦前に計画された敷設艇の2種類が存在する、ややこしい艦です。
 朝鮮半島の島名は初代測天型<円島>、二代目測天型<巨済><済州>。いずれも朝鮮半島南部の島名で、「えんとう」「きょさい」「さいしゅう」と日本語読みで使われました。なお、円島は所安群島の小島ですが、北朝鮮の小島や旅順港外の小島(こっちだとしたら中国語名ですが・・)であるという説もあります。

 また、鵜来型海防艦に<蔚美>が計画されましたが、戦局悪化に伴い建造中止、戦後、復員船として工事が再開されましたが、計画変更で再び建造中止になる変わった経過の船でした。蔚美島は朝鮮半島西岸の島です。


 次に、ちょっと外国語というには苦しいのですが、外国語から連想する日本語名をつけられた艦があります。
 <姉川>。第一部でも少しふれましたが、ロシア汽船<アンガラ>が前身です。病院船でしたが、手続きに不備があり、日本軍に捕獲されました。戦後、帰属が問題となりましたが、「日本の天皇が好意によりロシア皇帝に寄贈する」という形で決着し、ロシアに返却されました。アンガラはシベリアを流れる河名です。

 潜水母艇<歴山>。佐久間艇長の「第六号潜水艇事件」発生時には母船として随伴していた船です。ロシア汽船<アレキサンドル>が前身で「歴山」はその漢字表記です。間接由来ではあるものの、人名に由来する艦名というのは日本海軍では非常に珍しいものです。

 運送艦<松江>。第一部でも紹介しましたが、語源はロシア語ですね。(前身はロシア汽船<スンガリー>。松花江のロシア名)


 日露戦争の時ほどモロではなく、あくまで連想程度なのですが、太平洋戦争で拿捕/取得した艦にも似たような艦があります。
 砲艦<興津>。イタリア降伏に伴い上海で自沈したイタリア敷設艇<オスティア>を浮揚して日本籍に編入したものです。

 砲艦<舞子>。ポルトガルがマカオに配備していた砲艦<マカウ>を購入したもの。余談ですが、千歳とか茜とか深雪とか、女の子みたいな艦名の多い(?)日本海軍ですが、この艦がその最たるものでしょう(笑)


 最後に、そのつもりはないのに、偶然外国語になってしまった艦名。<利根>(TONE)とか<嵯峨>(SAGA)とかいろいろありますが、その辺は一々と列挙してもしかたないので、エピソードを2つほど紹介します。

 中国に駐留する艦隊(河用砲艦とか沿岸警備艦とか)の旗艦として計画された砲艦の予定艦名だった<勿来>。中国語で「来(ク)ル勿(ナカ)レ」。他所の国に派遣する艦隊の旗艦が、その国の言語で「来るな」では、あんまりといえばあんまりという事で、<安宅>に変更されてしまいました。

 艦艇ではなく、商船ですが<秩父丸>も悲喜劇です。<秩父丸>は日本郵船北太平洋航路サンフランシスコ線の浅間丸型の1隻で、新田丸型が就役するまでの10年間〜氷川丸型(シアトル線)や照国丸型(欧州航路)などの客船達が艶を競った日本商船の短い夏〜、日本商船隊の頂点にあった豪華客船です。
 なにが悲喜劇かというと、ローマ字表記。「CHICHIBU−MARU」なら何の問題もなかったのですが、日米関係の悪化でヘボン式ローマ字が禁止になると「TITIBU−MARU」になり、乳首を表す英語のスラングになってしまったのです。しかも、<秩父丸>は北米航路・・・
 日本郵船はなんとか例外を認めてもらうと運動したようですが容れられず、結局、<秩父丸>は<鎌倉丸>に改称されました。



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