[Back]

 三園制覇
8/9
大阪→横浜→浅草
8/10
浅草→九段下→両国→川口→浅草
8/11(終日コミケ)
浅草→有明→浅草
8/12
浅草→水戸→大阪


 作戦最終日は水戸。はっきりいって帰り道とは逆方向なのでコミケのついでじゃないんですが・・・
 目的は最近、うちにKlezを送りつけている馬鹿の討伐、じゃなくて(水戸在住の馬鹿がKlezを送り続けているの本当だけど)、日本文化の一大汚点、忌まわしき腐敗豆の巣窟に正義の鉄槌を下す、という訳でもなく、偕楽園見物という、通りすがりの観光客モードなのでした。

千波湖  
千波湖と桜川を隔てる遊歩道。鳥だらけ。
偕楽園/孟宗竹林  
偕楽園/孟宗竹林。
偕楽園/好文亭  
偕楽園/好文亭。
偕楽園/梅林  
偕楽園/梅林。梅の時期にはさぞ見事な事と思われます
茨城県護国神社  
茨城県護国神社。
山道  
ペリリュー島守備部隊鎮魂碑。

◆三園制覇達成

 作戦4日目。水戸へは上野から「スーパーひたち」で1時間。「スーパーひたち」で使われている651系はJR東日本初の特急用車両で130km/hの高速運転を実現すると共にオーディオサービスや衛星放送、間接照明など気合の入った装備が特徴でしたが残念ながら現在では多くが廃止されています。船も鉄道もバブル前後の頃に登場した豪華設備が次々と廃止となり、ただの輸送装置になる傾向が見られるのは、「移動を楽しむ」派の私としては少々残念なところです。

 水戸駅から偕楽園方面行きのバスがよく判らなかったので、歩いていく事に。まあ、今日は昨日までに比べて涼しいからいいですが・・
 南口から桜川の川べりを通って千波湖へ。遊歩道が整備されていていい感じです。都市部の閉鎖湖&小川という事で桜川も千波湖も水質汚染がかなり深刻のようですが、ぱっと見た感じはそれほど酷いとも思えませんでした。
 千波湖は北岸を西進。桜川との境を成している堤(?)で、ここも遊歩道になっています。なんか水鳥がたくさんいるなぁアヒルやカモの類とコクチョウ、あれはハクチョウかな・・と余所見しながら歩いていると・・・道路脇で寝ていたコクチョウを踏んづけるところでした。見事なまでに警戒心がありません。そら、ここでは狩られる心配は無いでしょうが、犬とか猫とか子供とかの危険はないんでしょうか?

 沖に目を転じるとスワンボート・・・ん、あの船、人が乗ってないぞ! 怪談というにはまだ昼だし、流したにしては動いてないし、繋留にしては沖すぎるし何だろう?と思ってたのですが、帰って調べた所、水質汚染対策の装備だとか。でも、何ゆえスワンボート?(景観対策?)

 しばらーく歩いて湖の端に着くと、歩道橋で道路とJR線を跨いで偕楽園に進入。歩道橋の下にはJRの偕楽園駅。この駅は1年のうち数週間だけ開かれる臨時駅で下りホームしかないという変則駅ですが、開いている間は特急も停まる変な駅。JRのサイトではSuicaに対応予定って書いてありますが、駅舎も無いこの駅でどーすんでしょう?

 歩道橋を超えると常盤神社。水戸黄門こと徳川光圀と幕末の水戸藩主・徳川斉昭を祭った神社です。徳川斉昭を祭っていることから判るように明治の初めに建立された比較的新しい神社です。
 一般的な知名度では徳川光圀の方が上ですが、このサイトの趣旨からいうと海防に着目、洋式帆船<旭日丸>を建造した徳川斉昭の方が縁がありますかね。
 境内には東京湾の防備に使用した(のと同型の)大砲「大極」があります。えらく単砲身で、文字通りの臼砲です。「くろがねの動員令」よろしく、領内の鐘像を集めて作ったそうですが、こんだけ砲身が短いとどこに飛んでいくか判らんのではないでしょうか・・

 続いて偕楽園。徳川斉明が作った庭園で金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ日本三園の一。名前の由来は「民と偕(とも)に楽しむ」。
 常盤神社側の東門から入園。正式な正門は反対側なのですが、交通機関の関係からこちらが事実上のメインゲートとなっています。
 偕楽園といえば梅林、実際、広大な敷地の半分ぐらいが梅林です。兼六園や栗林公園のように積極的に風景を「作って」いる訳ではないのでオフシーズンでは地味さは否めませんが、南側は孟宗竹林や杉林がひろがり、千波湖の眺望も楽しむ事ができます。
 南側の木立の中には銘水で知られる吐玉泉がありました。でも、飲用禁止の看板が出ています。これは単なる管理・衛生上の理由でしょうか?それとも汚染されちゃってるんでしょうか?

 中央にもどって好文亭。休憩所として作られた3階建ての建物。偕楽園は入場無料ですが、ここは入場料が要ります。
 質素な中に落ち着いた優雅さのある建物で3階からの眺望は見事ですが、水戸城の西側を見張る物見櫓としての機能もあったとか。偕楽園の梅林にしても非常食としての面もあるそうで、いかにも水戸武士という感じです。
 歩き詰めで疲れたので梅林のベンチで少し休憩。この時期、梅林はただの林でしかありませんが、それゆえに人も少なくていい気持ち。
 体力回復後は腹ごしらえ。東門前のレストハウスで光圀ラーメンなるものを食す。徳川光圀が食べたラーメンを現代風にアレンジしたとの事ですが、アレンジしすぎたのか、全くもって普通のラーメンでした。

 さて、これで目的の三園制覇は達成。帰りの電車までまだ時間があるので、どっか観てきたい所ですが、月曜日なので博物館関係は休みが多いし、大洗や勝田に出るには時間が少ないし・・と考えた末に偕楽園の南側にある茨城縣護國神社にお参りする事にしました。
 護国神社は各都道府県にだいたい1社かそれ以上ある国難に殉じた英霊をお祭りする神社。ここ茨城県護国神社は元は常盤神社の末社の鎮霊社として幕末の志士や西南戦争の犠牲者をお祭りする為に創建されたものを護国神社に改組したものとの事。
 「みたままつり」の提灯が出ていました。この英霊をお慰めする護国系独特のお祭り、総本山の靖国神社は7月中旬ですが、護国神社では8月中旬にやるところが多いようです。

 境内に入り、まずは手水舎に向かうと・・渇水の為、使用停止中。大丈夫か?
 お参りを済ませて境内探索。参道脇に西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争の記念碑があり、裏手の一角にはペリリュー島守備部隊の鎮魂碑がありました。
 ペリリュー島はパラオ諸島の小島のひとつで面積は約20万平方キロ。フィリピン防御のために飛行場が建設されていましたが、昭和19年9月、800隻の大艦隊に支援された約4万2千の米軍が上陸。対する守備部隊は陸海軍あわせて約1万2千。守備部隊は圧倒的兵力差の中を粘り強く戦い続け73日間の持久の後に玉砕しています。(一部の将兵は司令部玉砕後もゲリラ戦に移行して昭和22年4月まで抗戦しています)
 水戸連隊である歩兵第2連隊(創設地は佐倉、日露戦争の頃までは東京ですが)が守備部隊の主力であり、鎮魂碑はその縁であると思われます。

 その後、水戸駅までバスで戻りましたが、まだ少し時間があります。駅ビル内のスターバックスで時間を潰そうかと思いましたが思いのほか混んでいたので駅近くの徳川光圀生誕地を訪れるなど、駅前をウロウロして時間を潰し、来た時と同じく「スーパーひたち」で上野へ。

 上野から東京、東京からは新幹線で大阪。今回はちょっと贅沢して「のぞみ」のグリーン車を使ってみました。移動手段に金を惜しまない方針ですが、新幹線のグリーン車は初めて。
 やっぱり大きなシートは楽ですねーヘッドレストもいい塩梅です。もっとも700系は普通車両もシートの状態が良いので3人掛けの真ん中以外ならそんなに苦にならんですが。
 サービスは紙おしぼりのみ。パーサーが乗務していますが、別に頼む事もないしね・・JR北海道みたくドリンクサービスや弁当調達サービスがあればぐっと高級感が増すような気もするんですけどね〜

 東京遠征は無事終了。さて、次はどこ行こう?