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開国の街とTSL

 今回の目的は日本海軍ではなくて、最新テクノロジーの粋を集めたテクノスーパーライナー乗船の為に静岡まで。(コミケの帰りに寄ったともいう)
 その前に時間的余裕があったので開国の街、下田の史跡を廻ってみました。

 下田といえばペリーとかプチャーチンとかの開国談判や初期の領事館で有名な街ですが
   ・日本が外国の圧力に屈した屈辱の歴史の街
   ・新興日本の飛躍と現在の繁栄の根源の地
   ・アジアに大迷惑をかける切っ掛けとなった最初の誤りの地
見方によっては、どうとでも見れる微妙な街です。

 さて、東京から特急で3時間、終点の伊豆急下田。とりあえずは「まいまい通り」なるメインストリートを南に歩いていきます。

宝福寺 まず、八幡山宝福時。下田奉行が置かれたとか、勝海舟が山内容堂に坂本竜馬の脱藩を願った所とか、いろいろと歴史のあるお寺ですが、現在は「唐人お吉」の菩提寺として知られています。
 「唐人お吉」については小説やら映画やら舞台やら、いろいろと出ていますが、要はアメリカ総領事ハリスにあてがわれた「職業婦人」。結局、彼女は世間の罵倒と嘲笑にさらされ自殺してしまいます。彼女が悪い訳ではないのに・・・
 実は終戦直後の占領軍に対しても日本政府は同じような事をやって、同じような悲劇を起こしています。自殺とはいえ、彼女達も国難に殉じた訳ですから、靖国神社で祭られる資格はあると思うのですが、どうでしょうかね。


了仙寺  宝福寺をどんどん南にいって、つきあたりを右に折れると豆州下田郷土資料館。下田太鼓祭(地元のお祭り。訪れた時にちょうどやっていた)やペリーやプチャーチンにまつわる品や唐人お吉、下岡蓮杖(日本初の写真家)などに関する展示があります。

 続いて、大通りまで戻ってそのまま直進すれば了仙寺。安政元年に日米和親条約と下田条約が締結された場所です。
 このお寺の裏手には古墳時代の遺跡もありました。つくづく下田ってのは「始まりの町」です。


長楽寺  了仙寺からちょっと脇道に入り、運河にそった好い感じの町並み(昔は色街だったとか)を抜けて行くと長楽寺。ここは安政元年に日露和親条約が締結された場所であり、翌年には日米和親条約の批准書交換の式場となった場所です。
 ロシアといえば小樽のガラス職人・・はこの際、置いておいて日本に近代洋式帆船の製造技術を伝えた国だから日本海軍の曽祖父ぐらいにあたるんですよね。(別に意識して伝えた訳ではなく、開国談判にやってきたプチャーチンが乗ってきた<ディアナ>が安政地震で発生した津波で難破してしまい、君沢で船大工に指示して帆船を建造させ、それで国に帰り、技術が残ったという事)

 了仙寺から下田公園に進み、日米修好の碑とかペルー上陸の碑なんかを眺めていると、対岸にカバみたいな形の変な船が見えます・・TSL<希望>だ・・。
 時間も丁度良くなったので港を半周してフェリー乗り場へ・・

 TSLには「海陽雑記」で簡単に説明してありますが、ここでも少し・・
 TSLは運輸省や関係団体・企業が推進している「モーダルシフト」(長距離輸送をトラックから鉄道・船舶へ転換する)の一環として研究が進められている速力50ノット・搭載量1000トン・航続距離500浬を目指した新方式の高速海上輸送ユニット。平成7年に1/2実験船<飛翔>が建造され、実験終了後は静岡県が購入して防災船兼カーフェリー<希望>となりました。
 <希望>は総トン数2785トン、乗客260名でバス5台と乗用者10台を搭載可能で速力は40ノット。4月〜12月の週末と連休(8月の一部は毎日)は下田−清水を1日1往復のカーフェリーとして、それ以外の期間は防災訓練やチャーター体験船として運航され、大規模な災害が発生した際には防災船として孤立した被災地に救援物資を運んだり住民を避難させる任務に就く事になっています。

テクノスーパーライナー希望
 清水港にて


TSL/船内 港の事務所で乗船手続き(といっても、予約確認葉書を出すだけ)をして船に乗り込みます・・あれ?乗船口は?・・ありゃ、車と同じランプウェイから乗るのか・・まあ、元々客船として建造された船じゃないからしゃあないのか・・
 <希望>は本職は防災船で、乗船券にも「大規模な災害が起きて出動命令が出たら最寄の港で降りてもらうけど、よろしく」みたいな事が書いてあります。おりしも伊豆諸島の方で地震やら噴火が起きていた時期・・「うーん、大丈夫だろうか・・出航停止とか変な港で降ろされたら、明日仕事なのに今日中に大阪に帰れない・・」



TSL/船内 船内は椅子席。後ろの方に売店とトイレがあるだけの至って簡単な作り。まあ、元々客船じゃないし、たった1時間40分の短い航海だから、いろんな設備があってもしゃあないのだけどね・・前の方にはTVがあって、航海中は<希望>や下田・清水についてのビデオが流れていました。私が乗ったときは使ってませんでしたが、三管式のプロジェクターが2基天井がらぶら下がっていて、前方左右に100インチぐらいのスクリーンが埋めこんでありました。何につかうんでしょうね。


サスケハナ号? 船内は自由席なので早い目に窓際の席を確保して、おもてを眺めていると変な形の船(いや、TSLよりは真っ当かも)が桟橋に接舷してきました。
 帆船の上に屋形船を乗っけたようなけったいな作り・・まさか、あれが「下田港遊覧船<サスケハナ号>」?
 自分の国に圧力をかけに来た外国軍艦の名前を遊覧船に付けてるというのも右側にひねて考えると国辱っぽいですが、私がアメリカ人なら、蹴りの一発も入れてそうな、あの形状はアメリカに対して国辱かも。もしかすると、何か含むところでもあって、あの形になってるとか(--;



TSL/船内 16:00、出航。船室正面に速度計が3個もとりつけられているのですが、離岸から1分もしないうちに数字は20に達します。「えぇ!たった1分で20ノット!しかも、港内を高速航行するのか!」などと科学の進歩に驚愕しましたが、よくみると速度計は「km/h」・・・船の速度をkm/hで表現するんじゃないよ!

 下田港を出て駿河湾へ。船はぐんぐん速度を上げて港は忽ち遠ざかります。加速中はかなりピッチング(縦揺れ)があり「こんなんで1時間半も大丈夫なのか?」と心配になりましたが、巡航状態に入ると嘘みたいに揺れが収まり、逆に「本当に今、40ノットでてるのか? もしかすると騙されているのではないだろうか?」と思うぐらいでした。なにしろ40ノットという事は秒速20mな訳で、当然デッキなど風のあたる場所は巡航中は立ち入り禁止。したがって、あまり「スピードが出てる」という実感は湧かないのですが、同航する船を一瞬で追いぬきますから、きっと40ノットでてるんでしょう。
 雲の隙間から見えるエンジェルラダーやそれによって金色に彩られた美しい水面を堪能していると船は清水港へ。

 清水港に入って低速航行に切り替わるとデッキに出る事ができるようになるので、デッキで潮風にあたります。船室の冷房が効き過ぎて頭痛がしてたので外の風は非常に気持ち良かったです。他の船なら船室の冷房が効きすぎなら、デッキに出たり別の部屋に逃げたりできますが、この船は船室は1個しかないし、デッキには出れないしでかなりツラかったです。

 17:35、予定より5分早く清水港到着。自動車と乗客の出口が同じで自動車から降ろすもんだから、15分ぐらい船室で待たされたのはちょっと不満でしたが、まあしゃあないでしょう。

 最後に・・船内チラシ棚にある清水港周辺の地図やパンフの地図はスケールがいい加減なので注意しましょう・・港からエスパルスドリームプラザやフェルケール博物館への距離とそこから駅への距離を見比べて、バスを待つより歩いた方が速そうだと判断して歩いたのですが、もうちょとで新幹線に遅れるとこでした。(バスで10分って書いてあるのに、勝手に近距離と判断した私が悪いのだけどね)