特設病院船

 負傷者や疾病者を輸送する艦船で、その航行の安全は戦時国際法で保障されている。
 しかし、機雷には赤十字も効かないし、手違いはどこにでもある。また、軍事物資や兵員輸送がバレて(もしくはその疑いを持たれて)攻撃を受ける事はあるので全くの安全という訳ではなく、<牟褸丸>の他にも日華事変では特設病院船<橘丸>が中国軍の爆撃を受けて沈没しているし、太平洋戦争でも陸軍の<はるぴん丸><ぶえのすあいれす丸>が沈没している。

氷川丸(日本郵船)

 昭和5年、米加両国の優秀船の前に劣勢を強いられてた太平洋航路の巻き返しを計るべく建造された貨客船。
 昭和16年までシアトル航路で活躍、その後は病院船に改造され太平洋を駆け巡った。
 戦争を行き抜き、戦後は復員船、内航貨客船、外航貨物船を経てシアトル航路の貨客船に復帰、昭和35年まで現役で活躍し、その後は氷川丸観光(現氷川丸マリンタワー)所有の観光船として横浜港で展示されている。
 「氷川丸70年の航跡」(氷川丸の経歴)

総トン数 11621トン/全長 155.94m/機関 ディーゼル11000馬力/速力 18.2ノット/兵装 なし
氷川丸型の詳細

朝日丸(日本郵船)

 昭和3年、近海郵船(後に日本郵船に合併)が内地=台湾航路拡充の為にイタリア商船<ダンテ・アセビリー>を購入したもの。
 昭和12年から海軍に徴用され、特設病院船となり中国方面に出動し、主に大陸=内地の患者輸送に従事。太平洋戦争開戦後は南方方面の患者輸送にも従事した。
 昭和18年11月、特設病院船の任を解かれ運送船となったが、3ヶ月後の昭和19年2月5日、瀬戸内海で油槽船<満珠丸>と衝突、任意座礁。救難の努力も空しく2月24日に船体放棄となった。

総トン数 9326トン/全長 147.22m/機関 レシプロ2 8200馬力/速力 14ノット



特設病院船一覧
船名船主総トン数終末・備考
氷川丸日本郵船1162120.10.5 終戦により除籍
朝日丸日本郵船932618.11.10 運送船に転籍
高砂丸大阪商船934720.10.5 終戦により除籍
牟褸丸大阪商船160619.11.13 空襲により沈没
天應丸拿捕船670619.1.1 除籍
船名が斜体のものは他船種からの転籍