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ゼロ戦じゃなくて零戦だ
8/13
名古屋→名古屋空港→西春
8/13
西春→犬山→明治村→名古屋

 名鉄西春駅から急行で30分で犬山、犬山からバスで明治村へ。
 明治村は明治時代の建築物を移設した博物館です。

フェイズ2・明治村

西郷従道邸  
海軍大将元帥・西郷従道邸
SL  
SLの連結
模型とパネル  
帝国ホテル正面
エンジンと各種展示装置  
陸軍歩兵第六連隊兵営
ロケット  
名古屋衛戍病院

 まずは西郷従道邸。東京の目黒にあったものを移設したもので、接客用の別館です。
 西郷従道。一般的には西郷隆盛の実弟という事で知られていますが、明治史からみれば隆盛の方を従道の兄として表現するほうが適当な偉大な政治家・軍人で、私が最も敬愛する歴史上の人物のひとりです。
 明治初期といえば、行政システムも未発達で「縦割り行政」なんぞ薬にしたくても無い状態だったので、この時期の要人は何でもやってますが、それでも海軍、陸軍、司法、内務、文部、農商、開拓の各大臣・長官を歴任した従道は異色というべきで、しかも陸軍中将の時に海軍大将を務め、陸軍大臣になったのは海軍大将の時などという、目眩のするような経歴です。
 「一艦を指揮した経験も無い陸提督」ながら将に将たる大人物ぶりを発揮して山本権兵衛、樺山資紀、伊東祐亨、井上良馨ら一癖も二癖もある提督連を使いこなし、日本海軍の礎を築きました。山本権兵衛はよく「日本海軍の父」と言われますが、その山本が辣腕を振るう環境を作った従道は「日本海軍の祖父」といったところでしょうか。
 明治の要人としては地味なイメージのある従道ですが、流石に侯爵閣下だけあって立派な屋敷です。(この洋館は接客用の別館だそうですが)

 続いては、森の小道を抜けて北里研究所へ。その名のとおり明治の大医学者・北里柴三郎が建てた細菌学の研究所です。
 館内は北里を始めとする明治の医学者の業績などが展示。もしかすると海軍の高木兼寛に関する展示もあるかな、とおもったのですが残念ながらありませんでした。
 やはりビタミン発見の先駆事業を成した大医学者も国内では評価が低いんですかね・・あるいは北里と高木をセットで出すと、森鴎外や石黒忠直が「悪者」になっちゃいますから避けたのでしょうか。

 続いて市電。「品川灯台」から「札幌電話交換局」をとおって「六連隊前」まで市電が通っています。日本列島を半周するんだから大した市電です(笑)
 品川灯台は終点なので集電ポールの転換がありました。市電は電車なので電線から給電しますが、給電装置はパンタグラフではなく、滑車をひっかける方式になっていて、電車が進行方向を変える時は向きを逆にします。
 前と後の2つついているタイプもありますが、明治村で走っていたのは旋回するタイプで車掌の人が棒で旋回させて電線にひっかけていました。この作業は火花が飛ぶ事と聞いていましたが、全く平穏に付け替えは成功しました。

 市電の終点「六連隊前」、当然ながら六連隊は要チェックですが、SLの発車時間が近いという事で「SLなごや駅」へ。
 ここで走っているのは明治7年と明治12年に輸入されたもの。我が国の鉄道開業は明治5年ですから、本当に黎明期のもので、よく動体保存できてるもんです。
 客車は明治末建造のロングシートの三等車の3両編成。進行方向を逆転させる為に機関車入れ替えをやってましたが、連結器は当然ながら螺子式でした。大正14年に自動連結器に一斉変更されるまで、毎年多くの犠牲者を出した物騒な形式だったりします。
 石炭が上質なのか、勾配が無い為か、非常にスムーズに煤煙もなく列車は「SLとうきょう駅」へ。
 駅前には帝国ホテルの玄関部がでーんとあります。よく見ると味のある建物ですが、ぱっと見はなんか不気味な印象。隣で子供が中に入るのを嫌がって泣いています・・・

 帝国ホテルの向かいは刑務所地帯。宮津裁判所、金沢監獄、前橋監獄など。前橋監獄はなぜかお化け屋敷になってました。なんでかな?

 ぐるっと戻って歩兵第六連隊兵舎。歩六は「名古屋連隊」とか「名古屋六連隊」とも呼ばれた名古屋衛戍の部隊で、最古の鎮台連隊のひとつです。古くは西南戦争に参加、第三師団に編成から解散まで属し、日清戦争では第一軍の主力として朝鮮半島を進み、日露戦争でも南山から奉天にかけて満州原野を転戦しています。その後もシベリア出兵、第三次山東出兵、呉淞上陸、南京攻略、徐州会戦、大陸打通作戦など主に大陸で活躍した歴戦の部隊です。
 兵舎は中隊の兵舎として名古屋城内に建っていたもので、中身は下士官室、中隊長室、執務室と兵室。兵室には歩兵銃や食事も展示してありました。
 2階もあるのですが、なぜか暗闇迷路なるアトラクションになってました。

 ちょっと進むと名古屋衛戍病、平たく言うと陸軍病院です。各地に建設され、現在も国立国際医療センターや国立名古屋病院とか国立千葉病院、県立新発田病院のような非大学系の歴史ある国公立病院の多くが衛戍病院に端を発しているそうです。

 続いて日本赤十字社中央病院。中は赤十字の歴史とナイチンゲール記章を受けた日本人看護婦の写真など。
 日赤の産みの親・佐藤常民や第四回万国赤十字会議で「欧州人以外にも赤十字の規定を適応すべきか」という人種差別的議案に対し、断固として抗議し赤十字の崇高な思想が矮小化するのを阻止した石黒忠直のパネルもありました。
 日赤に従軍看護婦といえば婦人従軍歌(標準MIDI)として歌にもなっていますが、大東亜戦争では約2万人(陸軍看護婦を加えると5万人)が動員され、戦場の劣悪な環境の下、1062名が殉職されています。
 そういえば、赤十字マークは白地に赤十字(イスラムは赤新月、イスラエルは赤ダビデの星)ですが、バルカンの方の宗教がらみの内戦で出さなくて良い犠牲者を出した事から赤い菱形に変えようという運動があったようですがどうなったんでしょう。もし、白地に赤菱形になったら、こんどは日本の国際標識と紛らわしいような気がしますが・・

 三重県庁などを通って正門へ。1周3時間ぐらいでしょうか。
 この博物館、一応、「順路」はあるのですが(建物に番号が振られている)、それに拘泥される事なく自由に見学する事ができるのは、私のように趣味が偏っていたり、思いつきで行動する者にとっては大変ありがたい事です。もっとも、自由すぎて同じところをぐるぐる回っているような人も居たようですが・・

 雨が降ってきたのでミュージアムショップでバスの時間待ち。その後はバスで名鉄犬山に戻り、名鉄特急で名古屋市街へ。
 名鉄は特急に乗るには特急券が別途に必要となりますが、余分な出費を嫌う名古屋の人を相手に商売は成り立っているのでしょうか・・・それとも特急に乗るのは余所者だけなんですかね?

 名古屋市街でみやげ物探し。「納屋橋饅頭」をリクエストされていたのですが、とにかく納屋橋までいけば確実だろうと行ってみると・・・「売切」。今回のコミケはいつになくお目当ての所が「完売」になってた事が多かったのですが、みやげ物まで完売ですか(爆)
 でも、駅に戻ってみると、キオスクで売ってました。コミケで買えなかった本やソフトもさくっと日本橋で買えるといいんですけどね(笑)


 みやげも確保して名古屋における全ミッション完了。新幹線で一路大阪へ。
 次はどうしようかな・・候補としては鹿児島、愛媛、山口、島根、金沢あたりなんですが・・<シーマックス>を使って愛媛・山口というコースや、フェリーで鹿児島まで行って九州を北上するコースがいいかなぁ・・