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 柳と回天 
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12月29日 回天の島へ

高速船<回天>  
高速船<回天>。潜行したり体当たりはしないので安全。
看板  
ヤケクソになっている方に10アルヘンティーナ。
回天記念館  
回天記念館。思っていたよりしっかりした建物。
実物大の模型  
人間魚雷「回天」。ただしこれはレプリカ。

 まずは下関から徳山に移動、徳山港から大津島は馬島港に渡り回天記念館に向かいます。
 JR徳山駅前すぐの徳山港の待合所で大津島行きの切符を買って船に向かいます。船名は<回天>・・・体当たりはしませんよね? いったい、どういうセンスをすれば渡船に特攻兵器の名前がつくんでしょうか・・・ちなみに総トン数19トン、機関出力は510馬力、速力は16.8ノットで徳山−馬島を約20分で接続しています。

 高速艇らしい激しい震動にゆられ、徳山湾の島々、コンビナートを見つつ馬島到着。「ようこそ回天の島 大津島へ」というでっかい看板がお出迎え。元々、大津島には魚雷の試験場が置かれており、それを回天基地に改造したのですが、軍機中の軍機である酸素魚雷の試験場が建設されるような所ですから、どのぐらい大津島が開けているかは判ろうかというもの。
 現在の人口640人、「海と歴史のロマン薫るレクランド」などという枕詞を用意してるものの採石の他はこれといった売りはなく、回天でもなんでも使おうというのでしょうが、看板といい、高速船といい、半ばヤケクソになっているような気もします。

 馬島港から大津島小学校(元魚雷/回天調整工場)の横の通って山の方を登っていくと士官宿舎跡地の無料宿泊所「養浩館」、残念ながら正月休み。
 さらに登ると回天記念館。思っていたよりもしっかりした建物。係員の人いわく、私が本日最初の来館者との事。やっぱり年の瀬の忙しい時期にこんな所に来る人は多くはないようで・・(私が14時に島を離れるまで、ここに着たのは私の他に2人だけだと思います)
 内部は回天についてのパネル、搭乗員の人達の遺書や遺品、遺影、それに回天の部品が少々に基地時代の島のジオラマ、ビデオなど。おかしな偏向や感情に走った部分はなく、しっかりした展示で好感が持てました。(徳島市教育委員会の管轄の公共の施設ですから、ある意味当然ですが、大阪市のように左右の争いに巻き込まれて文字通り右往左往になっている所もありますから・・)

 人間魚雷「回天」。太平洋戦争末期に日本海軍が開発した特攻兵器。実は人間魚雷はイタリアが本家で第一次大戦でオーストリア戦艦<フィブリス・ユニチス>を撃沈、第二次大戦でも「ピグ」や「チャリオット」を駆って英戦艦<ヴァリアント><クイーン・エリザベス>を大破着底させ、10万トン以上の商船を破壊、休戦後もドイツ軍に接収された空母<アキラ>や重巡<ボルツァーノ>を破壊するという赫赫たる戦果を挙げているのですが、これらの人間魚雷と「回天」の一番の違いは搭乗スタイルにあります。イタリアの人間魚雷は潜水服を着た搭乗員が水中スクーターのように魚雷に跨って操縦する「決死」兵器だったのに対し、対する回天は魚雷の内部に搭乗員が乗り込んで体当たりする「必死」兵器であったという事で本質的に異なっていました。
 実は回天も試作段階では脱出装置を搭載する予定の「決死」兵器だったのですが、脱出装置の開発が巧くいかず、そのうち『現場からの要請により』廃止されたという経過があります。(上層部が誘導した可能性は否めませんが、初期の回天要員の人達は半ば強制の「一歩前へ」方式の志願ではなく、本当の意味での志願だった筈なので脱出装置の廃止を自発的に進言しても不思議ではありません。)

 昭和18年頃から研究が開始され、昭和19年2月から正式に開発開始、大津島に訓練基地が建設され(後に光、大神にも建設)、11月より実戦投入されました。
 実用化された回天1型は全長14.75m、直径1m、重量8.3t(炸薬1.5t)、速力30ノット、射程距離は20ノットで4300m。93式魚雷をベースに開発されており、電池ではなく、内燃機関で駆動するなど魚雷そのものの構造で、蛟龍や海龍といった他の特攻艇とは完全に一線を画しています。
 回天は潜水艦の甲板に搭載され、水中発進して敵艦を攻撃します。後に基地からの使用も考慮されました。

 日本海軍は回天戦によって大型潜水艦8隻を失い970名の犠牲を出しましたが(うち回天搭乗員106名)、確認されている戦果は駆逐艦1隻とタンカー1隻撃沈と撃破が少々(伊58潜の重巡<インディアナポリス>撃沈など回天搭載潜水艦が雷撃で挙げた戦果を含めるともう少し多くなります)。他の特攻作戦に比べるとマシな方ですが決して効率の良い作戦ではありませんでした。ただし、「追尾する魚雷」というのは米軍に大きなプレッシャーを与えた事は事実で、接近や会敵自体が難しい泊地攻撃や洋上潜水艦戦ではなく、港湾や海峡の防御で使用される事を恐れており(実際、その準備がされていた)、米軍が本土決戦を躊躇した原因のひとつであるとも言われています。(停戦後、直ちに回天作戦の即時中止を命じたというエピソードもおあります)



トンネル  
発射試験場に向かうトンネル
射撃試験場  
発射試験場。
大津島小学校  
大津島小学校の校庭。

 降っていた雨が小ぶりになったので回天記念館を跡に魚雷発射場の跡地まで。記念館や調整工場を含めた馬島の集落は徳山湾側にありますが、徳山湾にむかって魚雷なんぞ撃ったら大変な事になるので、当然ながら発射場は島の裏側の周防灘側。トンネルがあってそこを通っていくことができます。
 このトンネルはかつては魚雷や回天を運搬したトンネルで地面にはレールの跡もあります。一応照明はありますが、道がカーブしているので出口は見えず。ちょっと気味が悪いなーと思っていると、後ろからしおかぜ号(大津島の無料レンタル自転車)に乗った釣竿を背負ったおじさんが走り去っていきました。なんだ、その程度のもんなのか・・・

 それでもやっぱり不気味よなーと思いつつ、トンネルを抜けるとそこは海岸。海に突き出た細い橋の先に発射試験場があります。なんだか人が沢山いますが、魚雷や回天関係で着たのではなく、単に魚釣をしているもよう。そういえば、来る時の船も荷物を持ったいかにも地元の人達以外に釣竿持った人も船に乗ってたし、こっちの方では有名な釣スポットなんでしょうかね。
 発射試験場は上部構造物は全部撤去されていますが、コンクリート製の部分は残っていて、回天を降ろしたというクレーンの基部や魚雷を発射する為の穴なんかが残っていました。

 港に戻った時点で帰りの渡船の時間まであと45分ぐらい。山の上の見張所や少し離れた砲台跡まで見にくいと帰ってこれない可能性があるので近所の小学校を見物に。あ、もちろん不審者とかそういうのではなく(そもそも学校は冬休み)、大津島小学校はかつての回天基地の跡地に立てられていて、いくつか遺構があるからなんです。
 ちなみに写真の右端が点火試験場、左端の建物が変電所、真中のトンネルが危険物貯蔵庫だったそうです。
 塀もないような素朴な学校ですが、入り口には「関係者以外立ち入り禁止 ご用の方は職員室まで」の真新しい看板が・・やっぱり池田の事件の影響なんでしょうかね。

 小学校のまわりをウロウロしてると出港30分前になったので、そろそろ港に戻ろうかと道路に出てみると・・船が出港していくところでした・・・慌てて待合所に行って見ると・・「しまったぁーーー30分間違えてたぁーーーー」
 島内の別の港に寄港してから徳山に戻る便だったので、しおかぜ号(港で乗り捨てても良いとの事)で死ぬ気で走れば追いつくかもしれないけど、迷ったり事故でも起こしたら全く洒落にならないので次の便を待つことに。幸い、1時間後に徳山への直行便があり、無事に徳山に戻りました。

 しかし、計画では岩国に進む予定でしたが、ロスタイムで電車の接続が狂い時間的にかなり苦しくなったので岩国はパスして本日の宿、宮浜に進む事にしました。



妹背の滝  
妹背の滝。これは雄滝
日露戦争記念碑  
日露戦争記念碑。隣には日清事変凱旋碑というのもありました。

 JR大野浦到着。向かいに見える島は宮島のもよう。ここから宮浜温泉までは車で5分、岩国をカットした為に少々時間があるので妹背の滝を見てくる事に。
 センチの作中では山の中を歩くような事を言っていましたが、実際は駅から町の中を延々と歩く事になります。徒歩20分ぐらいで大頭神社に到着、ここの奥が妹背の滝。
 しかし、優って浮世離れした言動が目立ちますが、案内してくれる所って観光スポットか少なくとも駅前の地図に載っているような所ですから割と俗っぽいですよね(笑)

 さて、この滝、なんか中盤ぐらいのイベント〜このイベントの直後ぐらいに実は血が繋がってない事を知るとか(いったい何の話だか?)〜みたいな名前ですが、「妹背」は妹を背負うのではなくて「妹兄」が転じたもの。
 センチ行脚の人達の次には妹属性の人達がやってきそうな名前ですが、残念ながら兄妹という意味ではなく、夫婦という意味だと思います。(妹背自身には兄妹という意味もあるが、この滝の由来から考えるに夫婦が適当)

 さて、再び大野浦まで戻り、今夜の宿「宮浜グランドホテル」に向かいます。
 外見・内装ともに、すこーしくたびれた感じのする、典型的な政府登録の国際観光ホテルって感じですが、従業員の人達の愛想はよくて暖かい感じのする宿です。
 部屋は8畳アウトバスで16000円(やど上手で予約)。2階で宮島が正面に見えましたが、夜は街灯が少々まぶしかったです。食事は夕が部屋食、朝食は食堂。食事は普通、やっぱり牡蠣がおいしいです。自動販売機はありますが、150円と少し高い設定でした。
 お風呂は単純弱放射能泉で大浴槽が1つと表に出て階段を降りていくとある露天風呂が1つ。広いって訳ではありませんが、宿の規模からすれば充分なんでしょう。あ、露天風呂への階段や大浴場の窓際は時間帯によっては外から見えるので要注意です。(男湯のみ確認)



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