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 柳と回天 
12/27
大阪→小倉
12/28
小倉→若松→門司→下関
12/29
下関→大津島→宮浜
12/30
宮浜→宮島→岩国→門司
12/31
門司→大阪

 終戦後、破棄された艦艇をコンクリ詰めにして防波堤として使用した例がいくつかありますが、北九州・若松港には今だ駆逐艦<柳>がその形を保っている、という事なので見てきました。
 返す刀で徳山湾大津島の回天記念館を見物、その後広島まで進出して松山経由で門司に戻りフェリーで帰阪という計画でしたが、宿や交通機関の関係でかなり雑な計画となり、実際、現地で大規模な計画変更をおこないました。
 なお、センチというのはゲームのタイトル(の省略呼称)、七瀬優というのはゲームに登場するキャラなので何の事か判らなければ読み飛ばしてやってください。

12月27日 少年の日の憧れ

寝台特急「富士」  
下関駅停車中の「富士」、機関車は本来は貨物用のEF66
EF65 1000PF  
かつてはブルトレの主力機だったEF65
B寝台ソロ  
必要充分と見るか、狭いと見るか・・B寝台ソロ
関門トンネル用機関車  
銀色ではなく赤色でした。

 27日は仕事だったので、仕事が終わってから夜行で九州を目指します。
 私は小学校ぐらいまで、いわゆる「鉄道少年」という奴でした。ウチは家族旅行は自動車を使う事が多く、また、あんまり行動力のある少年でもなかったので線路や車両基地、操車場に入りこむような真似もせず、専ら時刻表を読んで楽しむようなタイプでした。
 で、当時の憧れは何と言ってもブルートレイン。特にブームの主役だった東京発の長崎/佐世保行き「さくら」、宮崎経由西鹿児島行き「富士」、熊本経由西鹿児島行き「はやぶさ」、熊本行き「みずほ」、下関・博多行き「あさかぜ」あたりの東京−九州便に乗りたかったのですが、大阪通過が上り・下りとも深夜になり小学生連れの旅行で使うような交通手段ではなかったので、結局果せずじまいでした。

 実は今までもブルトレに乗ったことはあるんです。コミケでサークル入場しようとすると早朝に晴海(当時)に着かないといけませんが、前日まで仕事、それも早く切り上げるのが困難な場合、深夜発の早朝着にする他はありません。幸い、大阪からだと夜行バス、夜行列車(夜汽車)、寝台列車と割と選択枝が多いのですがバスは苦手だし、夜汽車では着いた後の「戦い」を生き抜く体力が無くなってしまうので2回ほど寝台車を使っています。
 しかしながら、「移動」を楽しむ為に乗るのは今回が初めてです。

 今回は寝台特急「富士」を京都から小倉まで利用。戦前には1・2等専用の優等列車として東京−下関で運転、シベリア鉄道経由の日欧連絡路の一翼を荷っていた伝統の列車でしたが戦局の悪化に伴い廃止。戦後、東京−宇野の電車特急として復活、新幹線開通後は九州ブルトレとなり、日豊本線経由の東京−西鹿児島の旅客列車としては日本最長の運転距離(1595km)を誇る列車としてブームを支えました。
 ブームが去った後も廃止されたり併結になった他の列車よりは多少はマシな状態で、大分までの運転区間の短縮(1262kmで臨時列車を除くと第3位)で済んでいます。ただし、食堂車は廃止されており、車内販売も上りの名古屋−東京間でしか行わない為、栄光の「1番列車」(下りの列車番号は1)は「エサ無し特急」になってしまいました。

 京都駅のホームにでると反対側のホームに快速「ムーンライト高知」(ML松山・ML山陽併結)がいました。途中で切り離して、それぞれ高知、松山、下関に向かう夜行列車ですが、安く上げたい人、特に特急・急行には乗車できない青春18きっぷで旅行する人に人気の列車です。牽引している機関車をふと見ると・・・鉄道少年だった頃にブルトレを牽いていたEF65じゃないですか。出力不足で九州ブルトレ牽引から外されて久しい筈ですが、こんなところで出会えるとは・・なんか懐かしいなぁ・・

 EF65を懐かしがっている間に「富士」が到着。今回はB寝台ソロを利用。個室です。「また贅沢してー」なんて思われるかもしれませんが、JRのB寝台ソロの寝台料金は6300円、これは開放型B寝台(普通のB寝台)と同じ料金なのです。
 もちろん、料金が同じという事は客室もそれなり。その狭さと圧迫感から「便所」とか「走る独房」などと言われているA寝台シングルDXのさらに半額なのですから何をいわんやという奴です。
 部屋は上下2段になっているのですが、車両の高さは普通の寝台車と同じ(というか、従来の車両を改造して作ったらしい)。したがって入り口付近の一部のスペースを除き室内では立つ事が出来ません。通常のB寝台に比べて車両1台あたりの定員の数は約半分ですから、スペースは割とある筈なのですが、天井の低さ等から圧迫感はかなりのものです。
 通常の料金でプライバシーが保たれて施錠できるので大変ありがたくて安全ですが閉所恐怖症のケのある人や体が特に大きい人(かつ座って着替えのできない人)は使わないほうが良いかもしれません。

 時刻は23時半。個室の造り上、座ると壁面か鏡と正面から向き合う事になり、ナルシストでも修行僧でもない私には苦痛でしかないのでさっさと横になって寝てしまう事に・・昔の鉄道少年の血が騒ぐのか、なんだかわくわくしてしまい中々寝付けず、その上、カーテンを閉めなかった為に駅の照明で飛び起きるという失敗をしてしまい、結局、三宮を出るまで眠れませんでした。

 「あさー」。といっても「朝だよー、朝ご飯たべて学校いくよー」ではなくて山口県の厚狭駅に到着。厚狭に朝つくってのは国鉄時代からの伝統の洒落です。記憶では当時は「さくら」が停車していたような。
 騒音や震動に弱い人はずっと眠りが浅くなって次の日にフラフラという話も聞きますが私は平気なので快適な目覚めです。

 続いて下関。架線に流れている電気は門司までが直流、その先は交流となっています。ここまで牽引してきたEF66は直流専用機関車、このまま門司駅に進入すると大変な事になるので、ここで直交両用の機関車に付け替えを行う為に5分間停車。
 直流・交流の切換は門司以外に長浜や取手、直江津などにもあります。切換地点をまたいで運転する電車は普通は両用型なので機関車のような車両の変更は行いませんが、切換地点の架線は電気が流れていないので照明が一瞬消えます。この時、外から見れば電車そのものが消えたみたいに見えるので「電車が消える」としてTVなどで紹介された事もあります。

 食堂車も車内販売も無い「富士」では下関の5分停車は朝食調達の唯一の機会なので、普通の人はホームの売店に弁当やうどんを買いに走りますが、臨時鉄道マニアな私はもちろん、機関車の付け替えを見物に走ります。
 こういう事を荷物の心配をせずに安心してできるのが個室の一番の利点だと思います。さすがに普通の開放寝台だと長時間停車中に荷物を置いて席を離れるのは避けたいですから・・
 ここで付けかえる機関車は関門トンネルの下が職場なので海水対策にステンレス製になっている筈で、私が鉄道少年だった頃は地金のままなのか銀色に光っていて「いかにも特殊車両」って感じでしたが、今では普通に赤色に塗られていました。というか、今でもステンレス製の機関車なんでしょうか?

 さらに列車は関門トンネルをくぐり門司へ。門司で再び機関車付け替え。鉄道少年の抗体が残っているのか、阪急梅田駅などレールや電車が沢山あるところでは今でも妙に血が騒ぐ事があるのですが、門司は九州と本州を結ぶ鉄道が一点に集約される場所だけに非常に多くのレールや列車、貨車などがあり血が騒ぎっぱなし。このまま目覚めてしまって鉄道マニア再デビューかもしれない(笑)

 そして小倉下車。ようやく九州に到着です。



 次の目的地は若松港。続いて門司、下関に進出予定