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 柳と回天 
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12/28
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12/29
下関→大津島→宮浜
12/30
宮浜→宮島→岩国→門司
12/31
門司→大阪

 

12月30日 三景と三橋

連絡船<みせん丸>  
JR連絡船<みせん丸>
厳島神社  
水に浮かぶ厳島神社
鹿  
宮島の鹿。普通の道を闊歩している
茶屋  
海軍兵学校ご用達。
能美島・柱島方面  
能美島(江田島)・柱島方面。聯合艦隊の泊地のあったあたり

 本日の作戦計画修正。当初の計画では午前中に宮島観光を切り上げて高速船で宮島→宇品→松山→門司に進む予定であったのだけど、強風波浪注意報が出ていて乗換えの時間がタイトな本案は危険であると判定、行ったり来たりで間抜けなルートになりますが、宮島をたっぷり見て、昨日まわれなかった岩国を経由して陸路で門司に戻る事にしました。

 まずはJR宮島口から連絡船で宮島へ。かつては青函、宇高、関門、関釜、博釜、稚泊、大島など多くの航路で活躍した連絡船ですが、現在ではこの宮島が最後の航路となっています。実は宮島航路の他にJR九州が博釜間で高速船を運航していますが、普通は宮島航路を「最後の連絡船」といいます。何でなんでしょう?
 今回はJR連絡船<みせん丸>に乗船。96年に建造された新型で総トン数は218トン、機関は1000馬力で旅客800名、乗用車15台を積んで8ノットで航海する事ができます。写真を見てもらえれば判ると思いますが、どっちが前なのか判断に苦しむ形をしていますが、これは離接岸が常に「前向き」で出来るようにする為です。あと、そんな事考えて作ってる訳ありませんが、この形状は魚雷が当たりにくくなるという利点もあります(笑)

 10分で宮島着。「日本三景」のひとつにして「世界遺産」。
 とりあえずは厳島神社。宮島のメインイベント、水に浮かぶ神社です。私は満潮を狙っていきましたが、干潮の時にくると大鳥居まで歩いて行けるという利点がありますが、「水に浮かぶ」という特徴が消えて唯の海岸に建っている神社になるので「がっかり度」が急上昇だそうです。
 厳島神社では社務所に「内部(職員)撮影禁止」という張り紙が貼ってありました。やっぱり巫女属性の人達がロクでも無い事をやったんですかね・・私も所謂「おたく趣味」を持ってますが、非常識な事をする奴が一人でもいると、残りの大多数の節度有る人達まで一緒にされるので大変迷惑です。

 厳島神社の次は宝物庫やら弁才天など拝んで大聖院へ向かいます。ここは真言宗御室派の大本山。明治に神仏分離が行われる前は仏教と神道がごっちゃになっていた為、宮島に限らず大きい神社の近くには由緒のあるお寺がある事が多いようです。(浅草寺のように逆のケースもあります)

 続いてロープウェイで弥山に登るべく紅葉谷へ。宮島というと伝統的な観光地なので俗化していると思っていたのですが、シーズン中や桟橋や厳島神社周辺はともかく、すこし離れて山の方に入ると適度に文明化されていて町も山も非常にいい感じです。鹿なんかも平気で道路を歩い人を怖がらない、というか無視しています。(桟橋付近などで観光客に絡んで餌を貰う時は別みたいですが)
 私は鹿に何だか苦手意識があり、あまり接近されると困ってしていまいます。もう記憶にないんですが、子供の頃、奈良公園で鹿に蹴られた事があるそうで、20年以上経った今でもトラウマが残っているんでしょうかね。

 ロープウェイ紅葉谷駅から途中で一回乗換えて獅子岩駅へ。駅では「駅のそばに猿が出ているので荷物はロッカーに預けてください」などというアナウンスが。なるほど、前に猿がいます。
 ここからでも瀬戸内の島々が見えて良い景色ですが、さらに弥山に登ります。所要時間30分、駅の近くは綺麗な道だったのでよく整備されたハイキングコースぐらいに考えていたのですが、山頂近くでは結構勾配が激しく、一部の道が崩れていたりしてなかなかハードでした。道の脇に柵が無い場所が多いので高所恐怖症の人や足の親指が無い人にはお勧めできないかもしれません。

 途中、806年に弘法大師がここで修行をして以来、消えずに燃えつづけているという「きえずの火」がある霊火堂にお参りしたりしながら、ようやく山頂へ。
 金色に輝く海と瀬戸内の島々の素晴らしい眺望。なるほど、「宮島の真価は弥山の頂上からの眺めにあり」というだけあります。また、山頂付近には巨石・奇岩の類も多く不思議な雰囲気です。
 強風波浪注意報が出ているだけに風は相当に強い目でしたが台風じゃないし、昼だし時期も違うので流星雨はみれませんでしたが(笑)

 下って再び紅葉谷。桟橋の方に歩いていくと、たいそうな看板のかかっているお茶屋さん発見。まあ、兵学校のあった江田島は向かい岸ですし、弥山登山なんかもやったようなので、宮島と兵学校はそれなりに縁があるんでしょう。
 疲れた時には甘いものが美味しいので(元々甘い物好きですが)、白酒など飲んで休憩。
 世界遺産だけあって外国人の観光客も多いのか、店員のおじいさんが「ばい、ろーぷうぇい、ちけっと!」などと外人相手に呼びこみをしていました。

 元は大仏殿だった千畳敷や五重塔などを見て桟橋へ。さすがにこの辺は俗化してみやげ物屋などがびっしりですが、これはこれで観光地らしくていいかもしれません。
 ここで宮島名物の「あなごめし」を食べて見ましたが・・うーん、いまいちかも。入ったお店が悪かっただけかもしれませんが、「とても貧相な(脂の抜けた)うなぎを使ったうな丼」って感じしかしませんでした。
 焼き牡蠣ともみじ饅頭で口直しをして、こんどは連絡船の競合航路である松大観光汽船(広島電鉄系らしい)のフェリーで宮島を後にしました。



錦帯橋  
錦帯橋。山頂付近にちょっと見えてるのが岩国城
ただいま工事中  
中央部。現在架け替え工事中。
田中穂積像  
海軍軍楽隊長・田中穂積の像。
岩国名物・白蛇  
白蛇は岩国名物だそうです。
絵葉書  
絵葉書。もしかして自家熟成?

 続いて岩国錦帯橋。五連アーチの木造橋で「三大名橋」(一般に東京・日本橋、長崎・眼鏡橋)と「三大奇橋」(一般に大月・猿橋、日光・神橋or祖谷・かずら橋or木曾・桟)の両方に数えられる銘橋中の銘橋で「山は富士、滝は那智、橋は錦帯」などとも詠われています。
 JR岩国駅からバスで15分、いかにもな観光地ですが年末という事と岩国城のロープウェイが定期整備の為、運休中という事でいい按配に人が少なくて快適でした。

 まずは錦帯橋。ぱっと見よりも長くて高くて傾斜があり、この日は風が強かった事もあってちょっと怖かったです。
 現在、半世紀に一度の架け替え工事とやらで5連橋のうち中央の橋が工事中になっており、迂回路が作られていました。この工事は水位が下がる冬場だけ行われるので5連全部を駆けかえるのにはあと2年かかるそうです。

 橋を渡ると岩国城の麓。吉香神社や藩主館跡の吉香公園、吉川資料館などのあるエリア。佐々木小次郎の像もありました。

 吉香神社には海軍の軍人らしき像が。とりあえず行って見ると二代目海軍軍楽隊長の田中穂積でした。作曲した軍歌としては水雷艇の突撃を歌った「如何に狂風」が後々まで歌われていますし、明治天皇御歌の「黄海の大捷」に曲を付けたりしていますが、一般には「美しき天然」の作曲者と言った方が通りがいいと思います。(この歌も最近は聴かなくなりましたが・・・)
 銅像の横になにらやボタンのついた装置が。説明文などは見当たりませんが、とにかくボタンがあると押したくなるのが人情ってもの、押してみたら「美しき天然」が流れ出しました。うーん、結構凝ってますね。
 思わず「そーらにーさーえずるーとぉーりのーこえー」などと口ずさみながら吉香公園へ。はっきりいって「変な人」になってましたが「いっかにーきょおふうーふぅーきまーくもー」だともっと変な人だったと思うので、まあまだマシだったという事で(笑)

 吉香公園の入り口には白蛇観覧所なる施設が。中には白蛇が何匹も飼われていました。なんでも、普通の白蛇は普通の蛇の一代限りの突然変異なのですが、ここ岩国の白蛇は遺伝形質を持っている上にアオダイショウと同系らしいのですが混血が見られないという、まこと不思議な種です。
 そういえば、岩国レンコンも穴が1個多い(普通は8個ですが岩国レンコンは9個あります)変種ですが、まさか岩国には生物の遺伝子に影響を与える「何か」があるなんて事はないでしょうねぇ(笑)←真面目な話、下関の平家蟹と同じ理由だと思いますが・・・

 吉香公園は噴水や堀を巧みに配置した良い感じの公園。でも、冬場に噴水は寒いので、暖かい時期にくればいいんでしょうが・・桜や菖蒲の名所みたいだし。
 公園を抜けて、再び錦帯橋を渡りバスターミナル方面へ。おみやげ物屋を覗いて絵葉書など購入。
 で、その中にモノクロの絵葉書がありました。「古い絵葉書のレプリカかな?」と思って購入したのですが、150円という異様な価格と表紙のくたびれかたから思うに、レプリカではなく自家熟成のような気が・・・橋が新しいので、前に架け替えた昭和28年より古いという事はありえませんが、写っている風景や人の服装、使われているフォントからして少なくとも昭和40年代前半かその前後ぐらいでないかと思われます・・・私としては古い絵葉書集めるの好きだから非常に嬉しかったですが・・・

 錦帯橋観光も終了。後はフェリー乗船の為に小倉に戻らないといけません。今回の旅行はどうも行ったり来たりで無駄が多いような気がします。
 新岩国だと錦帯橋から行くのも、その先の新幹線も不便なので、いったん在来線で広島に戻り、そこから小倉に向かいました。



 いよいよフェリーに乗って大阪に帰ります