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掃海艇とは


 掃海艇とは、機雷の除去を任務とする中小艇で、英語では「Mine Sweeper」である。

 日本海軍は日露戦争で機雷戦によりロシア太平洋艦隊司令長官マカロフ中将を旗艦<ペトロバブロフスク>ごと葬り、逆に6隻しか保有していない一等戦艦のうち2隻を失うという大損害を被っており(そもそも、日露戦争における日本艦艇の喪失原因は、座礁や事故を除けば、ほぼ全部が触雷である)、機雷の威力については充分に認識していた。

 その後、掃海艇には旧式駆逐艦などを充てていたが、大正12年、八八艦隊計画の影響により補助艦艇の建造枠も増えると早速、専用の掃海艇を6隻建造した。これが第一号型掃海艇である。
 日本海軍の想定した「掃海」というのは、艦隊の前路や上陸・攻撃地点の航路開啓であり、敵の妨害を排除しつつ掃海を行なう事が前提となっており、大型で極めて強い砲力を持ち、爆雷や機雷さえ装備しており、今日の掃海艇とは趣を異にしている。

 さらに、昭和6年の第一次補充計画で第1号型掃海艇を改良した第13号型掃海艇6隻が建造された。
 このうち、最後の2隻は友鶴事件の影響で設計をやり直し、機関もレシプロからタービンに改められた為、第17号型掃海艇と別扱いにされる事がある。

 続く第三次補充計画では第17号掃海艇の改良型といえる第7号型掃海艇が6隻建造された。
 後から建造された方が番号が若いのは、第13号型掃海艇が建造された頃は、駆逐艦改造の第7〜第12掃海艇が在籍していた為で、これらの掃海艇は昭和11年に除籍されているので、空いた番号を埋めたという事である。

 さらに、第四次補充計画、(急)計画、改(五)計画で合計70隻の掃海艇が計画され、17隻が完成している。
 これらは第7号型と同寸であるが、主砲が高射対応(実際は地上攻撃用)のM砲に改められている。

 この他、香港で建造中に捕獲した英掃海艇を完成させ、第101号型掃海艇として2隻が日本海軍に編入されている。


 また、これら艦隊型の掃海艇とは別に、中国方面の戦闘で航路や港湾の掃海を目的とした小型艇が必要となり、徴用トロール漁船などを使用した戦訓より、トロール漁船の設計図を流用した掃海特務艇第1号型が第2次追加計画(昭和15年)で6隻、(急)計画で16隻が建造された。
 しかし、この艇は鋼製で磁気機雷や感応機雷に対して不利だった為、実際の掃海は木製の駆潜特務艇や哨戒特務艇の方が活躍、逆に航海性能が良好で軽快であった為、対潜掃討や哨戒といった任務には駆潜特務艇や哨戒特務艇より適していたという変な事になっていた。

 その他、スラバヤでオランダが建造中の小型掃海艇7隻を完成させ、特務掃海艇第101号型として日本海軍に編入している。

 これらに加え、トロール漁船や捕鯨キャッチャーボートを徴用した特設掃海艇もかなりの数が使用されているが、ここでは省略する。


     第19号掃海艇(昭和16年竣工)