柏木姉妹補完計画
同名艦を探してくるだけではあきたらず、「無いなら作ってしまえ」の発想、それが柏木姉妹補完計画である。
千鶴を補完する
「千鶴」は鳥名なので、明治の大型水雷艇か昭和の水雷艇という事になる。
(鳥名は敷設艦や空母の名前にもなりうるが、<千鶴>はあまり適当でない)
実際には<千鶴>は存在ないが、昭和の千鳥型水雷艇は<千鳥><友鶴><真鶴><初雁>と極めて良い線をいっており、しかもこのタイプはあと16隻が建造される予定で、ヒットする望みは非常に大きい筈だった。
しかし、<友鶴>が昭和9年に転覆事故を起こしてしまい、千鳥型の建造は中止され、以降は「一文字鳥名」の鴻型に移った。
そこで、ここでは、まず<友鶴>を転覆させない方法を考える。
簡単なのは昭和9年3月12日の日本海を穏やかにしてしまう事だが、当時、日本の新鋭艦はほとんどが復元性に問題を持っており、この日に<友鶴>が転覆しなくても、他の何かが事故を起すのは確実なので、あまり巧い手ではない。
「大正14年、平賀譲造船少将、艦政本部第四部長に就任」 <友鶴>転覆の原因は藤木造船少将の「用兵側の要求を最大限に受け入れる」方針が超えてはいけない一線を超えた事にあるので、「あいつは譲じゃない、不譲だ」と言われた程の頑固で、ついには失脚させられてしまう平賀少将を残す。
そういう設定で水雷艇の設計を行なってみたのが水雷艇<千鶴>である。
<千鶴>の最期は船団護衛中に味方の潜水艦を敵潜と誤認して追撃してしまい、その虚を衝かれて本当の敵潜の雷撃を受けて沈んだ事にする。敵潜は<ウィロウ>。
<千鶴>
昭和6年度計画の千鶴型水雷艇。
600トン以下の艦艇は軍縮条約の制約を受けない事から、600トンで中型駆逐艦並みの性能をめざして計画された。
実際には技術側の反対などから適当な性能に落ち着いたが、逆にこれが功を成し、使い勝手の良い艇として裏方ながら活躍する事になり、<千鶴>も長江の遡上作戦等にも参加している。
太平洋戦争では船団護衛や哨戒に従事、昭和20年まで生き延びるが、同5月14日、船団護衛中に味方潜水艦を誤認にて追撃してしまい、その虚を衝かれて本物の敵潜<ウィロウ>の雷撃を受け沈没。
梓を補完する
「梓」は植物名なので、大正以降の二等駆逐艦と丁型駆逐艦の名称となりうるが、二等駆逐艦に<梓>は命名されなかった。
完全にネタ切れとなり、<沢瀉>とか<躑躅>のよう、普通の人には読めないような名前まで候補にあがりながら、なぜ比較的ポピュラーで楠公の和歌にも歌われた梓が出てこなかったのは不思議。
丁型の<梓>は少し面白い経歴をもっており、改(5)計画で建造が計画された5510号艦の名称として予定されながら、途中で<葦>に変更、さらには5510号艦自体が建造とりやめとなる。
さらに、翌年の(戦)計画で、今度は4813号艦の名称として予定され、こちらは無事に起工したものの戦局の悪化に伴い建造が中止された。
う〜ん、補完できん。仮に5510号艦が予定艦名のまま建造されても、大きな活躍は期待できんし、4813号艦が完成してても終戦直前だし・・・
ここは橘型(改丁型)で一番有名な4810号艦(梨)に代ってもらうか・・
<梨>はかな表記の自衛隊では<なし>になって具合が悪いというので、<わかば>に改められたのだが<あずさ>なら問題はないだろうし・・(ただし、当時、植物名はPFなのでDEに属する丁型の名前にふさわしいかという問題はあるが・・)
<梓>
昭和19年度計画の橘型駆逐艦。
橘型は日本駆逐艦最後のタイプで、戦時量産型の松型をさらに簡略化し、艦尾もトランサム・スターンに変更されるなど、大鉈が振るわれたが、性能的には松型と大差は無い。
<梓>は昭和20年3月15日に神戸川崎造船で竣工、同年7月28日に瀬戸内海で空襲を受け沈没、除籍されたが9年後に浮揚、海上自衛隊に編入され護衛艦<あずさ>となった。
その後、昭和46年3月に老朽化により除籍されるまで、レーダー等の各種の実験のプラットフォームや練習艦として活躍、昭和36年の三宅島噴火では避難民の輸送にも活躍した。
楓を補完する・・必要は無いか
「楓」は植物名なので、大正以降の二等駆逐艦および丁型駆逐艦の名称となり、実際に大正3年の樺型と昭和19年の松型が<楓>と命名されている。
初代は殊勲艦だし、二代目も松型にしては活躍した方。
ちなみに、自衛隊にも<かえで>はいて、こっちは昭和28年にアメリカから貸与を受けたタコマ型駆逐艦。昭和47年に返却されている。
終戦に反対する水雷艇がアメリカの特使の乗った船を雷撃、その射線に<楓>が飛び込むって案はちょっと強引だし、中国艦となった<ハンヤン>が再び日本艦に戻るとか、二代目をエディフェルにして三代目を楓にする案は適当な耕一役が見つからないので使えないし・・・
まあ、充分活躍した艦であるから特に補完はしなくていいか・・
初代<楓>
大正3年度計画の樺型駆逐艦。
第一次世界大戦の勃発に伴い、急遽、駆逐艦を整備する必要に迫れた海軍が計画した量産型の中型駆逐艦。
生産性を優先した為、日本駆逐艦としては最後のレシプロ機関搭載艦となり、性能的には見るべきものは少ないが、過不足のない扱いやすい性能は隠れた傑作艦となった。
<楓>は第一次大戦では第六駆逐隊に属し、まずシンガポール方面に出動、大正6年4月からは第二特務艦隊に編入され、地中海に移り。マルタ島を基地に航路護衛に投入され、フランスから同型艦の建造を依頼される程の極めて大きな成果を上げた。
二代目<楓>
昭和19年度計画の松型駆逐艦。
生産性を最優先した戦時量産型の駆逐艦で、性能的には陽炎型などの艦隊駆逐艦に劣るものの、優れた生産性と戦訓を入れた設計は極めて有力な艦となり、滅び行く日本海軍を支えた。
<楓>は昭和20年から門司−台湾の船団護衛などに従事。20年1月に行われたフィリピン航空要員救出作戦で空襲をうけ中破するも台湾で修理をうけ内地に生還。そのまま終戦を迎えた。
戦後は中国海軍に引き渡され<ハンヤン>となり昭和30年代後半に解体された。
初音を補完する
「初音」は時節を示す天象名なので、明治の駆逐艦および大正以降の一等駆逐艦の名称となりうる名前で、明治36年の春雨型駆逐艦の命名の候補にあがったが、採用はされなかった。
36年度計画で建造されたのは<有明><吹雪><霰>であるから、これと入れ替えてしまえば済むのであるが、天象名というよりは鳥系に近い、駆逐艦の名前としては不利なので、「箔」を付ける為に武勲艦の<朝霧>に代ってもうらう事にする。
まず、34年度計画・37年の完成として、日本海海戦に間に合わせる。
そして<朝霧>には、日本海海戦の前に事故で沈んでもらい、第四駆逐隊の司令駆逐艦として鈴木司令に乗ってもらえば、武勲艦<初音>の完成である
<朝霧>の名前は特型駆逐艦に引き継がれているが、上記の歴史改変の結果、これは当然<初音>となる。
二代目<朝霧>はエンドウ沖で駆逐艦<サネット>を撃沈している。ここはいっちょ、<リネット>になってもらおう(笑)
<朝霧>には三代目もいる。こっちは<あさぎり>で現在も日本の海を護っているが、こちらも<はつね>になる訳だ。
初代<初音>
明治34年度計画の春雨型駆逐艦。
春雨型は我が国初の国産駆逐艦で、悪く言えば英国型駆逐艦のコピーであるが、導入からわずか数年で国産化に成功した技術陣の努力を評価したい。
<蛟龍丸>や僚艦と共にロシア艦隊司令官マカロフ中将座乗の戦艦<ペトロパブロフスク>を機雷戦で爆沈するという大戦果を皮切りに、日本海海戦ではバルチック艦隊旗艦<スワロフ>を始めとする戦艦3隻を撃沈破するという武勲燦然たる功労艦。
大正11年、特務艇に類別変更、大正14年、廃船。
二代目<初音>
昭和2年度計画の吹雪型駆逐艦。
特型駆逐艦は武装、速力など全てにおいて旧来の駆逐艦を凌駕した画期的な駆逐艦で、列強海軍の羨望と恐怖の対象として君臨した日本駆逐艦史に輝くマイルストーン的存在の艦である。
太平洋戦争では第三水雷戦隊に属し、エンドウ沖海戦で駆逐艦<リネット>を撃沈するなどの戦果を上げている。
昭和17年8月、サンタイザベル付近で米軍機の攻撃を受け沈没。