[Back]

北へ。とフェリーと温泉と
12/29
大阪→敦賀
12/30
敦賀→小樽
12/31
小樽→札幌
1/1
札幌(終日)
1/2
札幌→函館
1/3
函館(終日)
1/4
函館→大阪

Xプラス3日(1月3日)

吹雪の函館  
湯の川温泉電停。雪って本当に「舞う」んですね・・
摩周丸  
元青函連絡船「摩周丸」
摩周丸内部  
摩周丸内部の展示室
金森倉庫群  
金森倉庫群。となりはBAYはこだて。

 1月3日(曇)。函館観光ミッション、今日は函館山・元町方面を攻略の予定。
 まあ、何はなくとも朝風呂。露天風呂のあまりの気持ち良さに早起きして、暗いうちから温泉を満喫してしまいました。
 朝ご飯は洋食と和食を前日に選択する方式。洋食バイキングをチョイスしましたが、ちゃんとご飯と味噌汁、イカの塩辛なども用意されていて大満足でした。

 湯の川温泉から市街に出るにはタクシー以外ではバスか市電を使う事になりますが、函館市には「1日/2日乗車券」なる、1/2日間市電とバスが載り放題な上に観光施設や飲食店でも割引が受けられる便利な切符があるので、それを購入して、とりあえず市電でJR函館駅へ。
 1日乗車券は1000円、2日乗車券は1700円で函館市の魚であるイカのマスコットの付いたストラップが付いてきます。市花とか市鳥ってのは、どの市にもありますが市魚って珍しいかも知れません。でも、イカって魚でしたっけ?

 JR函館駅につく頃には吹雪に。前が満足に見えず、歩いているだけで雪だるまになりそう・・・こういう時は無理しないに限るので、駅前のみやげ物屋をひやかしたり、ゲーセンで時間を潰し、雪が弱まったスキを見計らって函館駅裏のメモリアルシップ・摩周丸に突撃。

 メモリアルシップ・摩周丸は、かつて青函連絡船として活躍した「摩周丸」を海上保存しているものです。摩周丸は総トン数8278トン、速力18.2ノット。昭和39年から41年にかけて、青函連絡船の就役船を一斉にリプレースして近代化・合理化を計った際に建造された津軽丸型の5番船で旅客船としては青函連絡船の最終型になりました。当時としては最先端の設備を備えた優秀船で昭和63年の航路廃止まで本州と北海道を結ぶ大動脈として活躍した功労船でした。

 展示内容は連絡船当時のままの船内や連絡船の写真や模型、青函連絡船2大悲劇である昭和20年の空襲と昭和29年の洞爺丸事件を中心とした歴史展示、飾り毛布やロープワークなどがあります。
 悪くはないのですがイマイチ集客力に欠けそうな内容です。洞爺丸事件にしても私にしてみれば当時の新聞や写真は充分魅力的なアイテムですが、一般の人達はここより羊蹄丸(東京・船の科学館)にあるジオラマの方が喜びそうです。
 実際、摩周丸は大赤字のようで、正月のオフシーズンとはいえ全く活気がありませんでしたし、船体もかなりヘタっているようで先行きが案じられます。
 2001年現在、我が国で海上保存(係留は除く)になっている客船は6隻(氷川丸、羊蹄丸、摩周丸、八甲田丸、大雪丸、ステラポラリス)しかないんですが、うち3隻は明日解体が決定されても不思議でないような苦しい状況に追いこまれており、保存の難しさを物語っています。

 さて、本線復帰。雪の中、呼び込みを続ける朝市を横目に電停に戻り、市電で十字街へ。
 とりあえず、北海道造船発祥の地の碑を眺めたあと、金森洋物館へ。雑貨屋さんが中心ですが、めぐみちゃんにマスコット人形をもらった、世界のクリスマスを集めたミニ博物館「フェリシモ・クリスマスミュージアム」なんかもあります(笑)
 金森商船が所有していた赤レンガの倉庫を改造した雑貨などのショッピングモール。世界のクリスマスを集めたフェリシモ・クリスマスミュージアムもこの中です。
 向かいには同じく金森の赤レンガ倉庫を使った函館ビアホールと金森ホールが入った函館ヒストリープラザがあります。

 戻って喫茶CHI’S、ザ・グラススタジオ・イン・函館など北へ。スポットを押さえて海岸へ。流石に海辺は寒い・・気温はマイナス4度とそんなに極端に寒い日じゃないのですが、風があると流石に寒いです。

 西波止場の2Fのレストランで昼食。ちょっと贅沢してはとば丼(ウニ、イクラ、ホタテ、イカ、甘えびの海鮮丼。2300円)とビールを注文。ちょっとウニが溶けかかっていましたが美味しかったです。ビールは函館ビールの「アルト」、濃色麦芽で造られているそうで、赤銅色をしていました。お味は苦味のある本格的なビールってトコでしょうか。(私、あんまりビールの味わからないのですが・・)
 調子にのって、さらにデザートにアイスクリームなんぞ食べたもんだから、あとで寒い思いをする事になりました。アイスクリームは銘柄は知りませんが、牛乳の味のする素直なアイスクリームでした。

 続いて、金森美術館バカラコレクション。実はノーマークだったのですが、クリスマスミュージアムとの共通入場券があったので、こっちも見物する事に。
 ガラス細工の事は良くわかりませんが、本当に綺麗ですね。しかし、ここや小樽の北一ヴェネチア美術館、あるいは運河工藝館や北一各店、グラスシップやグラススタジオなどのガラス細工をオープンで展示しているところって、カバンをぶつけたりして破壊してしまいそうで緊張します。(本屋やソフト屋ではよく商品の山を崩すので)

基坂  
基坂。転がり落ちたら打撲程度では済みそうにないです。
ハリストス正教会  
ハリストス正教会。函館の顔というべき有名な観光地
函館山  
函館山から市街。夜なら良かったのですが・・

 ドラマなどでも登場する基坂を上り途中の旧イギリス領事館(開港記念館)などを見物しつつ、ひいひい言いながら元町公園へ。雪道は3倍疲れますが、雪の坂道は10倍疲れます。
 元町公園から港の方を眺めたあと、旧函館区会堂へ。梢ちゃんは記念写真が撮れませんでしたが、私は入ることさえできませんでした(正月休み)
 続いて函館ハリストス正教会。鐘の音から「ガンガン寺」とも呼ばれる函館で有数に有名な観光地です。琴梨ちゃんときました。
 この教会はオーソドックス(東方正教)なのですが、隣にある聖ヨハネ教会は英国プロテスタント、下にある元町カトリック教会はローマカトリック、さらにその向いは東本願寺函館別院があり、さらにすぐ近所に米国プロテスタントの日本キリスト教団函館教会やら本庁系神道の船魂神社、靖国系神道の函館護国神社などもあり、大変宗教設備が充実したバルカン半島のような地域となっています。

 函館山の麓をさらに進むとロープウェイ山麓駅。函館山は100万ドルの夜景が有名で、冬編では女の子/自分が告白するクライマックスシーンのひとつでもありますが、夜は寒そうだし、混んでそうだしで、根性なしの私は昼で我慢する事に。
 ロープウェイで数分で函館山山頂駅。いまでこそ呑気な観光地ですが、戦前は要塞地帯となっていて、日露戦争では函館要塞として、今は展望台になっている御殿山に28センチ砲10門、前方の薬師山に15センチ砲4門、後背の千畳敷に28センチ砲6門と15センチ砲4門、立待岬に9センチ砲4門を配備した要塞砲兵大隊に加え歩兵第二十八連隊(旭川)の一部が北海道の玄関口である函館港の守護の任に就きました。
 その後も要塞は拡大を繰返して最終的には担当地域を函館港から津軽海峡に拡大した津軽要塞に改組され、砲台そのものは函館山から汐首岬や白神岬に移りましたが、要塞司令部やレーダー類の多くは函館におかれ、終戦まで津軽海峡と道南の防禦の中心地でありつづけました。

 軍事の話は置いておいて、函館山展望台。なんか曇ってて函館どっくぐらいまでしか見えないし、風が強くて寒いし・・・建物の中でぼーっとしてたら晴れてきたので表へ・・また曇ってきたので中へ、ってのを何回か繰返しているうちに疲れてきたので、さっさと帰ることに。
 さて、再び山麓駅。さて、ここで気づきました。人生哲学じゃないですが、上り坂があれば下り坂もきっとある。こんな坂、万一転がり落ちたら命が無いかもって坂がでーんと広がっております。おまけに雪まで降ってくるし・・
 今思えば、タクシーで帰れば良かったのですが、その時は思いもつかず、悲壮な覚悟で南部坂を降りました。
 幸いにも転落する事無く坂の下の十字街電停に到着。南部坂で疲れ果てたし雪も強くなってきたので、ホテルに引揚げる事にしました。

 バスで湯の川温泉まで戻ったころには風も出てきて吹雪になってましたが、吹雪の中の露天風呂って、本当に気持ちいいですね。お風呂は好きだけれどもカラスの行水が常で、いつもは20分も風呂場に居ない私(性格云々以外に心臓が悪いという事情もあるにはある)が1時間近くも入っていてしまいました。
 風呂の後は飯。今日はホテルの夕食を予約済なので食堂へ。1回ぐらいは仲居さんが持ってきてくれるような所に泊まろうかとも思ったのですが、そういうところって一人宿泊だと相当高くつくんですよね・・・
 メニューはイカの鉄板焼、牛鍋、蟹味噌焼、刺身など結構豪華。しかも美味しい。特にイカの鉄板焼は「イカってこんなに美味しかったんだ」と目からうろこでした。

 気持ち良いお風呂に美味しい食事、美味しいお酒。あぁ、来て良かったなぁ・・って感じで北海道最後の夜もふけていきました。

 明日はいよいよ最終日、五稜郭を見て大阪に帰ります