航海日誌


6月25日

 「戦海の剣」(天沼俊)なるコミックを買ってきました。
 作者の人は以前、「戦空の魂」なる太平洋戦争期を中心とした史実の「原案」の上にフィクションを構築した飛行機物を書いていましたが、今度は現代戦でした。
 内容はシーレーンを封鎖する事で「1億3千万の国民を人質」にクーデターを起こした新鋭潜水艦<くろしお>に対抗すべく海幕長と自衛艦隊司令官は伝説の男・南郷海人を極秘で建造した航空母艦<つるぎ>の艦長に起用した・・という、逆「沈黙の艦隊」。
 思うに、「沈黙の艦隊」の頃はバブル真っ最中で「現在は申し分なし、前途も洋々。汚点は過去のみ」という事で「過去の清算」がメインの作品が多かったようですが、最近は停滞する世相を反映してか「現状の打破」をメインに持ってくる作品が多いような気がします。

 しかし、この話、1巻ラスト付近まで、クーデターの事を知っているのは海上幕僚長、自衛艦隊司令官、潜水艦隊総司令、それに主人公の南郷だけ。
 この話に出てくる政治家は権力亡者みたいなのばっかりなので指揮されたくないのは判りますが、クーデターのような国家の重大事件を海幕長の所で止めてしまい、防衛庁長官や総理大臣、安全保障会議、統合幕僚会議といった組織を無視して処理しようというのは、満州事変やノモンハン事変の関東軍並の重大な分限違反、というか、これはこれで「叛乱」のような気も・・・(比州某重大事件?)
 ひょっとすると、大衆は劇薬を欲していて、それがこういう形で出てくるのですかね?


6月21日

 間があいてしまいましたが、日誌再開。
 教科書の方は、ニュートラルな立場で批評する為、もうちょっとインターバルを置くとして、日常のたわいもない事に復帰します。

 最近読んでいる本は「海の稲妻」(神坂次郎)。最近、九鬼嘉隆だとか山田長政だとか海系の時代物を攻めてまして、今回は安土桃山時代の豪商・呂栄助左衛門のお話。
 根来の津田監物や堺の千利休、今井宗及サイドのスタンスである関係上、秀吉が悪者扱いになっています。一般的に秀吉は「人を殺すのが嫌い」であったとされる事が多いのですが、本作では鳥取城攻め(兵糧攻め)を兵士だけでなく庶民も巻き込む戦として描き、また小牧・長久の戦いの後に秀吉が行った紀州報復戦(悲惨さでは信長の比叡山以上とも言われている)なども出てきて「歴史の面白さ」を感じます。

6月7日

 「新しい歴史教科書」、読み進むと、九仞の功を一簣に欠くといいますか、とんでもない記述を発見。
 第一次世界大戦の日本艦隊の欧州遠征のくだりですが「地中海での作戦中、ドイツ潜水艦から魚雷が発射された。その魚雷の発見が一瞬、遅れたときに、日本駆逐艦は連合国船舶の前に全力で突入して盾となり、撃沈されて責務を果した。犠牲となった日本海軍将兵の霊は、今もマルタ島に眠っている。」

 いや、そんなことがあったなんて初耳です。
 欧州遠征を行ったのは第二特務艦隊で二等巡洋艦<明石>以下、二等駆逐艦<桂><楓><梅><楠><杉><柏><松><榊>。途中で<明石>と交代した一等巡洋艦<出雲>、増援として投入された二等駆逐艦<樫><柳><檜><桃>、イギリスから貸与された駆逐艦<栴檀><橄欖>、特務船<東京><西京>、それに戦後の処理の為に派遣された一等巡洋艦<日進>や工作船<関東>などでしたが、熾烈な護衛戦の末に78名の犠牲者をだしたものの一隻も欠けることなく日本に凱旋していますし(イギリスから借りた艦は現地で返却)、第二特務艦隊司令官の佐藤皐蔵少将の上奏文でも「榊が敵魚雷の為大損害を受け多数の死傷者を出しましたと、松が雷撃されました運送船に横付けして人員救助中同船に命中致しました魚雷のため、軽微な損害を受けました外は悉く之を回避しまして些しの損傷をも蒙りませぬのでございました。」とあります。

 その「責務を果した駆逐艦」ってのは、いったい何なんでしょう?大損害を蒙った<榊>にしても、往路ではなく復路での被害ですから、何と間違えればこんな記述ができるのでしょうか?
 欧州遠征が学習指導要領で指定されているとは考えにくく、「追加分」であると思われるのですが、その追加分でのでたらめな記述というのは、本そのものの信頼度に致命的な影響を及ぼすと思われ、執筆者および監修者の責任は重大であるといえるでしょう。

 そもそも、悪意をもって解釈すれば、執筆者および監修者は第二特務艦隊の遠征について正確に知っていながら、人命救助で英皇帝から勲章というのではインパクトが弱いので創作したのではないか?などとも思われます。仮にそうだとすれば、この教科書、事実と妄想をごっちゃにしているという点でA級戦犯(Aは某戦記作家のA)、歴史教科書としては紙屑以下という事になりますが・・・・
 独創的で、かなり面白い所のある本だけに、そんな事はないことを祈りたいところです。

6月6日

 「新しい歴史教科書」に関するコメント、近世編。
 近世は大航海時代からスタート。ヨーロッパを含めるのは学習要綱で指示されているようです。しっかり「8世紀以降、地中海はほぼイスラム教徒に抑えられていた」とか「イスラム教徒の力への恐怖を前提としていた」と断ってあり、さらにその後でスペインとポルトガルによる世界分割条約であるトルデリシャス条約についての記述がありますが、「自分より弱い奴には傲慢なヨーロッパ」とでもいいたいんでしょうか?

 天下統一のくだりは私が習った時と大きくは変わってないようで、文禄・慶長の役もさらっと流してありました。
 朱印船と東南アジアとの貿易のところでは、さりげなく山田長政が登場します。この人は「アユタヤの武神」としてシャムの武官の頂点まで登り、さらにはリゴール(シャムの一地方)の王にまでなりますが、結局は暗殺されてしまいます。日本人の海外進出という事で戦前は大きく取り扱われ、「日本男児」の代表格にまで祭り上げられましたが戦後は無名に転落、それどころか実在の人物ではなかったのではないか?(複数の日本人が混ざってしまっているのではないか?)という意見まである少々複雑な人物です。

 鎖国の部分では学習要綱でアイヌ交易への波及が指示されているようですが、本書ではシャクシャインの乱を「アイヌの人たちは松前藩の交易方針に反発し、シャクシャインを指導者として戦いに立ち上がったが、松前藩に静められた」とあります。この書き方だと、独立した存在であるアイヌが交易に不満をもち戦争をふっかけたみたいな印象を受けますが、実際は松前藩はアイヌを完全に支配しており、藩と藩に結びついた商人による圧制に耐えかねたアイヌが蜂起した訳なんですから、もうすこし書きようがあるような気がします。

 あとコラムで石田梅岩と二宮尊徳が登場します。最近の状況を鑑みるに、勤勉と倹約の精神を説くのは大変よろしい事とは思いますが、この教科書では深読みすべきかどうか、悩む所です。同じくコラムで武士の理想として葉隠が紹介されていますが、これも深い意味があるのかないのか難しいところです。
 他にコラムでは浮世絵と印象派の関係について書かれています。実際に強い影響を受けてはいるのですが、例としてあげられている絵は特に極端なもので、印象派そのものが日本芸実の模倣ととってしまいかねない危険もありますが、文化面を強調するのは健全なナショナリズム育成の一助になりますから許容範囲でしょうか。



6月5日

 「新しい歴史教科書」、中世編。
 中世で「面白い」イベントというと、やはり「元寇」と「建武の新政」。
 元寇では「(モンゴルが)日本も征服しようとくわだてる」とか「手紙の内容は日本を見下し『もし言うとおりにしなければ武力を用いることになるだろう』と脅すものだった」と元の横暴を強調していますが、その手紙を無視し、ついには使者を殺害するという「そら、攻めてくるわ」的な日本の態度については触れられいないのは少々、作為を感じます。
 あと、元寇については、2回の暴風雨がどの程度の役割を果したか、という事は歴史家の間でもいろいろと言われていますが、この教科書では日本の勝利のかなりの部分を担っていたように書かれています。

 建武の新政は戦前は楠木正成が忠臣の筆頭として扱われた関係から非常に大きく取り扱われていた部分ですが、所詮は反動政権であり戦後はほとんど扱われなくなりました。
 流石にこの本でも建武の新政については1ページ半だけで楠木正成についても「楠木正成らは近畿地方の新興武士などを結集して絶大な幕府の勢力と粘り強く戦った」とあるだけで、湊川など足利尊氏との戦いには触れられていません。
 しかし、千早城攻めと思われる挿絵に「何をやっているところだろう?」という文章がついており、教師の口から忠臣楠公を語らせたい意図があるのかもしれません。

 もうひとつ、李氏朝鮮が対馬の倭寇を討伐した事件について。この本では「15世紀のはじめには朝鮮が200隻の船と1万7千人の兵士をもって対馬を襲う事件がおこった。しかし、これは倭寇の撃退が目的だったので・・・」という書き方になっています。
 純粋に書き方の話なんですが「朝鮮が兵をもって倭寇を討伐した」と書けばいいのに、「対馬を襲った」「しかし」「倭寇を撃退する為だった」と回りくどい表現になっているのは、この本のスタンスからして、少々、底意地の悪い深読みを促しそうです。

6月4日

 「新しい歴史教科書」(扶桑社)感想の続き。
 なかなか面白い本です。事実の列挙にとどまらず、その事象に至る背景なんぞも書かれているので、歴史を「楽しむ」事ができます。また、必要以上に年を暗記させるような作りになっていないのも好感が持てます。

 気になったのは偏向については置いておくとして、その他では記述に矛盾がある点。それも書かなくていいことで発生しているような感があり、読者に不信感を与えるという点で大減点のようにも思えます。
 たとえば「日本は古代においては朝貢などを行った時期はあるが、朝鮮やベトナムなどと比較して独立した立場を貫いた」という記述があります。日本の独自性を強調したいが為の記述でしょうが、同じ教科書中の勘合貿易(室町時代)で「朝貢のかたちをとった」と明記されており、実際に朝貢だった訳ですから前の文章は意味がとおりません。
 あと、古代朝鮮の任那については、「拠点を築いたと考えられる」と任那を否定する韓国側に気を使ったような記述をしていますが、その次のページ以降では任那が存在する事を前提にしたような記述になっています。こういう腰の据わらない文章は見苦しいだけでなく、混乱を招くので教科書としては大問題のような気がします。

6月3日

 教科書買ってきました。例の「新しい歴史教科書」(扶桑社)。
 なるほど、神話が取り上げられているのと、近代・現代史が全体の半分近くを占めています。こうなると、受験で不利になりそうな気もしますが、受験で出るようなところは決まっているので、案外と問題ないのかもしれません。

 日本の神話は開放的というのか何というか、特に「古事記」はおおっぴらな愛の表現ありの、近親相姦ありの、緻密な性描写ありのと書き方によっては有害図書に指定されてしまうような素敵な物語です。
 国作りからして、イザナギとイザナミの2神が「私の体には一箇所、凸がある」「私の体には一箇所、凹がある」なんて会話の末に「それでは2つを合わせてみよう」なんて事になって大八島が生まれます。
 天岩戸にこもったアマテラスを引っ張り出したのはアマノウズメの裸踊りですし、天岩戸にこもる原因になったのはスサノオの悪行に驚いた天の織女が女陰を突いて死んだからです。
 裾に月経の血がついていて、それを読んだ歌とかダイレクトに「あなたと寝たい」なんてモロな歌もいろいろと出てきます。

 さあ、これがどうやって教科書に載るんだろう・・このエロチックさが日本神話の売りであって、これを隠すのは「カチカチ山」やら「蟻とキリギリス」のような「現代昔話」といっしょになっちゃうぞ・・なんて思ってましたが・・・
 国作りが「性の交わりをして産まれた子供が淡路島・・・」、裸踊りは「乳房をかきだして踊り、腰の衣のひもを陰部までおしさげたものだから・・・」なんて表現になっていました。

 中学校の教科書なんぞ15年ぐらい読んでないから最近の教科書は知らないのですが、私らのころからしたら、なかなか過激な表現のようです。

 ちなみに教科書に登場する神話は本編が国作り、イザナミの死、天岩戸、国譲りと天孫降臨で4ページ、コラムとしてオオゲツヒメ、神武東征、大和武尊で4ページほど使っています。
 日本のルーツにかかわる部分、神話の形をとった古代史の部分など、深く考察すれば非常に楽しそうな部分が選ばれているように思えます。

 もっとも、実際の授業では絶対に入試には出ない部分だし、性的描画とからんでサクっと飛ばされて終わりのような気もしますが・・

6月1日

 またしても北海道展。今回は難波の高島屋。例によってチョコレートと松前漬けを購入。
 こっちにはロイズ・コンフェクトが出店してたので、めでたく生チョコとピュアチョコをゲットしました。
 やー、やっぱりロイズのチョコレートはおいしいです、しかも安いし。最初は「北へ。」繋がりで購入したのですが、今じゃすっかり大ファンです。

 さあ、次の北海道展はどこかな?(笑)


 


 2001年 1月 2月 3月 4月 5月
 2000年 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

HPに戻るリンクに飛ぶ