航海日誌


8月23日

 浮島丸事件の判決が出てました。
 なーんか、しゃんとしない判決ですが、心情的には補償は必要だが、拠る法が無いという事なので、まあ大岡裁きという事で評価しましょうかね。

 しかし、浮島丸沈没の原因って、韓国では本当に日本陰謀説が信じられているのでしょうか?
 見てきたわけじゃないから断言はできませんが、数少ない大型船舶をワザワザつかいますかね・・しかも、浮島丸は特設巡洋艦だった事もある優秀船。そんな貴重な船を失ってまで殺さないといけない理由ってちょっと思いつきません。
 それに、沈めて殺すにしても、わざわざ舞鶴のような人目につく所で爆破しなくても、出航して夜中に日本海の真中で自沈すれば万事OKだと思うのですが・・
 どう考えても日本陰謀説より乗員か乗客が不穏となった、あるいは航海禁止命令(もしくはその両方)により舞鶴に入港しようとした、って方が妥当だと思うのですが・・・

 はなしは飛んで栃木の誘拐事件。
 どうやら、犯人はあっち方面の人らしいですが、またゲームの影響とかなんとかいいだして、また風当たりが強くなるんでしょうか。おりしも、東北大が「ゲームやってると馬鹿になる」なんて研究成果が発表してるし・・
 しかし、暴行魔や下着泥の人がエロビデオやエロ本を持っていても話題にもなりませんが、なんでこの方面ばっかり目の敵にされるのやら・・大半の人は人様に(あまり)迷惑をかけずにやってんだから、あまりいじめないで欲しいもんです。

8月14日

 大阪に帰た翌日から、さっそく仕事。流石にヘロヘロ〜
 宅急便で送った荷物も到着しているのですが、ほおっておくと腐ったりキノコが生えてきかねないお土産やら着替え類は処理したものの、戦利品や旅行用具については手をつけれず。
 結局、遠征中は進まなかった「君が望む永遠」やら積まれている「サモンナイト2」「こみっくパーティ」なんかも片付けにゃならんし・・・
 夏休みが終わったのに、やらないといけない事は山積みだ。

8月12日

 作戦3日目。いわゆる「煩悩日」というやつで、「暑いし臭いし煩いし」の3拍子揃った地獄の日です。
 朝から並ぶ体力が無くなっている為、開場直後に会場に到着、1時間ぐらい待機行列して入場しました。今回は小雨が降ってましたが、暑くないので大変楽でした。
 東ホールは相変わらず一歩あるくごとに体力が消耗していく「毒の沼」状態。こんな事なら「辺境の戦士」のスキルをとっておくんだった。
 「男河」(エロ同人誌を求める野郎ども。バラバラで動いている限りはまだいいが、流れに方向が出来ると大変怖い。稀に鉄砲水になって非常に危険)の流れに流されたり、あるいは逆らったりしながら、ようやくお目当てのサークルにたどり着くと・・「完売」。再び男河の濁流を渡って別のサークルにたどり着くと・・「落ちました」。必死こいて西に移動するとお目当てのジャンルが予想以上に衰退している・・・企業ブースでも「本日分終了」、もう、モラルチェック失敗しまくり。
 まあ、中盤以降は立て直してそれなりの戦果はあげましたが、前回があまりにもうまいこといったせいか、なんか今回は非常に疲れました・・

 今日の帰路は新経路のTWR天王洲アイル行きを使用。改札が新木場行きと同じだったので少し停滞がありましたが、列車はガラガラ。着席して有明を脱出する事に成功しました。
 で、天王洲アイルは終点なんですが、列車を降りたあと、ふと振り返るとまだ座っている奴が結構います。東京テレポートで終点だった頃から行われている、折り返して座って新木場に行こうというセコイ手(不正乗車になる筈)なんでしょうが、天王洲アイルからだとモノレール1駅で浜松町だし、品川行きのバスも多いので、そういうセコイ手を使わなくてもいいような気もするんですがね・・・

 その後、思いつきで浜松町行きではなく羽田空港行きに乗り、天空橋経由で浅草に帰着。 まあ、天王洲アイルからどっちに進むかは今後の研究の余地があるとしても、有明を脱出するには、本数がある分、水上バス(日の出桟橋で乗換えると浅草に直行できる)以上に有利な手段のようです。
 もっとも、次回は今回の戦訓を生かすやつが出てくるだろうし、14年末には大崎まで伸長、JR埼京線に接続という事でぐっと便利になりますから、今後は流動的ですが・・・


8月11日

抗議行動   遠征2日目。本日もコミケはやってますが、私はお休み。午後からひゅぎぃさんとこのラケル&馬車道OFFがあるので、午前中は九段&神保町を攻略。

 とりあえず靖国神社。こういうサイトを作っている関係上、戦争・戦死者を茶化すような事をやっていないか自省する意味も込めて上京の際はなるべく参拝しています。

 いつもどおり、拝殿で参拝して、就遊館を見て参道に戻ると、なにやら警備やら報道が群れている・・・覗いてみると、チョゴリを着た人がいるし、横断幕にはハングルが・・・どうやら韓国系の団体の抗議行動らしい。
 そらね、戦犯の人を合祀している問題とか、公式参拝の問題とか、いろいろ言いたい事はあるでしょうから、それについて大いに議論していただくべきだと思いますし、抗議行動もいいですが、神社の中でやるというのはあんまりです・・・いかに自分が否定する宗教とはいえ、その聖域に土足で踏み込むというのは、まっとうな文明人のやる事ではありません。(もちろん、その存在そのものが法に違反している場合は別ですが、靖国神社の場合、首相の行動などが違憲かどうかの問題であり、靖国神社そのものはあまり問題にはならないと思います。)
 以前、新聞の読者欄で国際関係を近所関係に準えて「隣人が嫌がる事をわざわざするのは常識的ではない」などという投書がありましたが、隣に他の宗派を否定するような原理的な宗教の信者が居たら伝統的な(仏教や神道等の影響のある)冠婚葬祭は一切非常識、隣が教条的なマルクス主義者だったら、家族の団欒も不可なんですかね・・・

8月10日

 帝都遠征(もしくは聖地巡礼)1日目。
 朝の新幹線を大阪を発って昼から参加。コミケに来る度に思うのが「若くはないな・・」。いや、もともと生来の持病や不具合に加えての不摂生により「40代の肉体を持つ男」ではあるのですが・・・

 初日は同人ソフト目当てだったのですが、このジャンルも大きくなりましたよね。私らが作ってた頃なんぞ、「間借り」って言葉がぴったりな状況で、大阪の即売会ではすみっこの方の1列だけ、なんて事もありましたが、今や東ホール半分ですか・・・
 大きくなった分、一発芸じみた面白いソフトが探索できなくなっているのは残念ではあります。

8月5日

BIT CHAR-G   おもちゃ買ってきました。トミーの「BIT CHAR-G」。チョロQサイズの車のおもちゃですが、なんとラジコン。よくこんだけ小さなサイズに収めたものです。しかも、急速充電器を兼ねている(45秒の充電で2分間走行可能。プロポ自体の電源はアルカリ電池)プロポが付いて3000円ですから大したもんの一言です。

 しかし、チョロQ、プラレール、ガンプラといえば私が子供の頃に遊んだ代物(ただし、ガンプラについては私は当時から艦艇派だったので、「なんでみんなはザクだのゲルググだのに騒ぐのだろう? <妙高>の美しさが理解できないのだろうか?」と真剣に考えたものですが)ですが、最近はみんなハイテク化して、チョロQやガンダムはRC化され、プラレールにはCCDが積まれて車窓の景色が見えるようになるなどすごい進化。
 なんか、子供の頃、「こんなのがあったらいいな」ってのが次々と実現されていきます。うーん、うらやましいぞ、今のガキども。
 もっとも、大人だからこうやって衝動買いできるわけですが(笑) そーいえば、この「BIT CHAR-G」も子供より、もしろ30代前後のお父さんに人気だとか・・なんか判るような気もします。

8月1日

 「パプスブルク一千年」(中丸明)を読む。
 600年に渡りヨーロッパを支配した「皇帝の家」パプスブルク家のダイジェスト史。登場するのは第一次世界大戦の引き金となった皇太子フランツ・ヨーゼフ、太祖ルドルフ1世、中世最後の騎士カルロス5世、女帝マリア・テレジアなどなど。一見は普通の歴史本なのですが、中身が・・

 諸説あるような事象も一番下世話な解釈を採用している為、ヨーロッパの歴史は、やりたい盛りの高校生のよう。まあ、実際にパプスブルクは家訓が「戦は他にまかせよ。汝パプスブルクは婚姻せよ」だといわれるぐらい、婚姻関係をうまくつかって支配体制を維持した訳で、閨房で歴史が作られたというのも間違いじゃないんですが、この本、書き方がひたすらに下品。
 かの「パプスブルクは婚姻せよ」は「ど頭かち割り合うのは、よその野郎こどもにまかせておきゃーせ。わしんたらーハプスブルクの者はその間にうみゃあもん食って、せっせと○○しよーだないの。それがシアワセっつーもんでにゃあか。そだろう」になってしまい、三十年戦争でドイツの被った災厄は「『マリアが処女であっただと?たーけたことをこくでねゃあ。処女で産んだとすりゃ、神たまんはこーされたにちげぇねゃあだ!』とさんざんにフェラチオ、肛門性交をぶちかました。」

 はっきりいって、この本は悪書以外のなにものでもない。
 しかしながら、エデンを追放された昔から、悪というものは、まこと心地が良いものではある(笑)

 まあ、楽しめた本ですが、すごく気になった点があります。マリア・テレジアが即位した当時のオーストリア軍の弱さを表現するのに「『また負けたか八連隊』と小馬鹿にされた我が皇軍の第八連隊(大阪)」、フリードリヒ大王のプロイセン軍の強さを「関東軍」を例えにだしています。
 でも、歩兵第八連隊は「また」といわれるほど負けていません。西南戦争で歩八の一部を含む支隊が吉次峠で大敗北したぐらいで、以後は木津、城山、南山、沙河、奉天、サマットなど、赫赫たる戦果の輝く歴戦の部隊。ノンフィクション作家が俗説を信じちゃいけません。
 ついでにいうと、歩兵第八連隊は満州駐屯の任に就いた事もあり、「関東軍」には「歩兵第八連隊」も含まれております。


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